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2011年5月16日月曜日

問題26 あなたの取材先を教えてください

あなたの取材先を教えてください。
取材先を持っていない方はぜひこの機会につくって教えてください。

取材とは自身の活動の糧になるようなことです。材料であり素材です。
ジャーナリストであれば直接被災地へ行き、その眼で原発を見に行くことがニュースをつくる素材になるでしょう。画家であれば取材対象はそのままモチーフになります。編集者はあの人はあそこへ、この人にあっちへと取材をさせようとするかもしれない。映画監督はテーマを探しに直感的に南米へ行ったりする…など など。

ここに出題する意図としては、問題を繰り返し考え続けていることで、問題に応答する技術が高められるように、人に説明できる、共有出来る取材先を複数持っておくことで「材料・素材」を取り出す技術が得られるのではないかと考えています。

そして「この時期、他人はどこへ行き、何を見聞きしたいのか」について興味があります。
みんなは何の素材を取りだそうとしているのかを知りたい。
例え専門が異なっても、何を知ろうとして、どう動こうとしているのかを共有することはたいへん刺激になることです。ここで影響し合って展開し、さらに新しい取材先を見つけたい! 

これまでの取材先も、これからの取材先も教えてください。

2011年4月6日水曜日

問題20 想像の方法


渡ったことのない橋 まだ降りたことのないあの駅
聴いたことのないビート そして会ったことない人々
        (「5 cups」スチャダラパー/con10po)

知らない場所・時間・人。これらのものをぼくたちはどうやって想像しているのでしょうか。知らないものと自分との関係を想像する方法にぼくは興味があります。3.11を経験し、ぼくは、被災地や避難所生活のこと、この先の自分の生活のことを上手く想像できなくなってしまいました。多くの人もそうだと思います。今この状況の中で《想像の方法》を言語化することは、この先の未来にリアリティを持たせ、人々を力づけるために重要だと思っています。

「想像」とは、「もし~だったら」「私が~するとしたら」という、自分を主語にして〈未来〉〈仮定〉の世界を思い浮かべることだとぼくは考えています。例えば、今日のうれしいニュースに、友人に子どもが生まれたことがありました。twitterで知ったとき、ぼくは嬉しいと感じると同時に自分の子どもが生まれるときのことを想像していました。「もし、自分の子どもが生まれるとしたらどんな気分だろうか」「私が出産に立ち会うとしたらどんな状況だろうか」と、〈仮定〉の世界を思い浮かべました。もちろんぼくに子どもはいませんし、その予定もありません。しかし、友人のtweetを〈手がかり〉にして、自分に置き換えて想像します。そしてそのとき、友人の幸福感や子どもが生まれて不思議だと思う気持ちに共感するとともに自分も子どもがほしいと思うのでした。

しかし、ぼくは子どもを持つということの何を、何故、知っているのでしょうか。知らないのに想像できる。これには「想像」の素材となる3種類の〈経験〉があるだろうと考えています。1つは、ドラマや映画で登場人物に子どもが生まれる場面を見るような〈メディアの経験〉です。もう1つは両親や子どもを持つ友人から子どもが生まれたときの話を聞くような〈伝聞の経験〉です。もう1つは、自分自身の幼少期のことを思い浮かべることです。これは〈体験の経験〉と呼べるかも知れません。(そしてぼくは、これらはすべて現実であると信じています。)別の言い方をすれば、この友人の子どもが無事に生まれて嬉しいことへの共感は、tweetをトリガーに、見たこと、聞いたこと、知っていることの〈経験〉をコラージュしてつくり出した自分についての〈仮定〉のイメージであると言えるでしょう。「想像すること」と「思い出すこと」は似ているけれどちがいます。思い出すことは、〈経験〉を確かめることです。想像することは新しいイメージをつくることです。〈経験〉を〈手がかり〉に、コラージュによって新しいイメージをつくる。これが想像の方法であると考えています。(そしてその後には、〈想像〉を現実にする方法という〈未来〉に関する問題が待っています。)

では、問いです。ここでは、〈経験〉が〈想像〉の素材となると書きましたが、〈経験〉がなければ〈想像〉は不可能なのでしょうか。「未曾有」という言葉を聞き慣れてしまいましたが、映画の中で見たような信じられない世界が現実になったとき、私たちはその信じられないことをいかに現実として想像することができるのでしょうか。

みなさんの《想像の方法》を教えてください。

2011年2月11日金曜日

問題13 素材と付き合う技術

『問題9素材の欲望』では様々なヒントを持ったコメントが提出されました。
「素材と出会って初めて、欲望が生まれるのではないか」という仮説のもと、あなたにとっての素材を発表してもらいました。そのコメントの中で一番の収穫は「わからないが惹かれる」という共通ではないでしょうか。例を挙げると…

「わたしがハインリヒ・フォン・クライストの作品を好むのは、意味不明でわからないからです」(林君)
「人も環境も生活も、未体験の領域は非常に刺激的なものなんだと実感しました」(太田君)
「自分とはまったく違うものなのになぜか惹かれる気になる」(郷田さん)
「公園に住まう鳩の群れにいつも変な気持ちを抱いていたのです」(蓮沼)

これらのコメントで説明される素材とは「意味不明」で「自分とはまったく違うもの」で「未体験の領域」で「変な気持ち」を抱いています。ここで共通して言えそうなのは、正体が分からない、だからこそ惹かれる素材なのだ、ということではないでしょうか。クラスの気になる子は恋愛対象になりえますが、その逆は恋愛対象にはなりえない…と。お付き合いしたいという欲求は、相手を知りたいがため。では何を知りたいのか、実はそれが問題だと思うのです。ただし、そこへ行き着くまでは時間がかかります。

「素材と出会う」のステップは経過したとします。
次のステップは、どうやってその素材と付き合っていくかです。
付き合うというのは=時間がかかるようです。

あの万有引力の法則を発見したニュートンさんは「りんごは落ちるのに、なぜ月は落ちないのか」と疑問に思ったそうです。これは始まりの素材との出会いです。それにしても「月」と「リンゴ」を同列して疑問に思うこと自体が凄まじいですね。そこから、考え続けて/付き合い続けて、月は落ち続けていることを発見したのです。リンゴと同様に落ち続けているが、地球も円運動をし続けているので、いつまで経っても落ちてこないのだ。と、知り得たのです。すごい話です。

出会った時、素材は素材に過ぎません。
ものにするためには、知り得るためには、付き合わないとならないようです。
そこで素材と付き合う術を持っているなら、それぞれの専門立場から意見交換しませんか。
ものにするためには、どんな技術を用いていますか?
専門性ゆえ容易には真似できないまでも、技にこめられた秘密に触れるだけで良い触媒になり得るのではないでしょうか。

まず、私から披露しますと、それは“ものをよく見続ける”ことです。
私は絵画を専門にしています。絵を描くということは対象をよく観察する必要があります。
そして精密に描写するなら数時間を要します。
まず普段の生活で、同じ素材(モチーフ)を何時間も観るなんてことないでしょう。
しかもそれを紙に記録していく。そんな過程をずっと過ごしていくと、ある瞬間、ものがよく見えるようになるのです。素材の細かいところまでピントがあって、まざまざとした質感を伴って見えてくるのです。この体験に比べたら普段のものを見るというのは、記号的に見ているに過ぎません。
ガラスのビンという記号的にモノを見る場合と、素材の質感をまざまざと感じながらビンという意味を再構築して見る場合は、報酬の度合いが異なります。このようにして見て描いた場合は、作品としてもいい結果を持ちます。

この技術のいいところは、じっくりと見ることで、観念的に見ている素材を一度解体させることです。なにか不思議な素材があるとしたら、何時間もそれを見ることで、その不思議さの秘密を知り得ることができるかもしれません。

こんな具合で、あなたの素材との付き合う術があれば、聞かせてください。

2011年1月28日金曜日

問題9 素材の欲望

今回は素材と欲望について考えていきたいです。
私はつい先日、美術作品をつくろう!と思い立ったのですが、同時に妙な気持ちになりました。
それは形式的な「作品をつくる」という欲望が先立っていて、本当につくりたいのかと自問自答したときに、何に依って考えたらいいかわからなくなったからです。しまいには、つくりたい欲望はそこまでない!と気づきました。

順序がおかしかったかなと分析したときに、「欲望とは素材と出会って生まれる」のではないかと思いついたのです。
なにかひっかかる風景を見つけたので、それが何かを捉えたいがために絵を描く、という流れが私には好ましく思えるのです。世界の構造はどうなっているのかを絵画の手段を用いて解明してみたら、遠近法という一点から世界が始まる発見があったように。
たくさんの作品群、形式的な決まり、画家という職業、これらが先例として豊富にあるので、ついつい流れてしまうのです。
そのため、この問題集を使って、素材と欲望について考えることで、さらなる自分のブラッシュアップを図ろうと思います。
つきましてはみなさんの、具体的な事例を聞かせてくれたらと思います。

で、なんの事例かと言いますと…どんな素材を持っているかです。
素材とは料理人にとっては野菜やお肉、映画監督にとっては脚本と役者、画家にとっては人物や風景、翻訳家にとっては外国の小説、編集者にとっては作家…などなど、もとになる材料です。いまの説明も形式的な立ち位置から見た素材でしたね。
今回強調したいのは、恋愛をしたいから可愛い子を探すのではなく、あっ!と驚く可愛い子に遭遇してしまったためにお付き合いしたい!と欲望を持つ方の流れです。

私の例で言えば、公園に住まう鳩の群れにいつも変な気持ちを抱いていたのです。鳥だけに浮世離れしているが、やけに土着的だ…アイツらなんかオカシイと思っている最中に、当時好きな子に「鳩ってオカシイね」と告げられたことが契機となって(やっぱ何かあるぜ)、私の中でいろいろ繋がって、鳩が素材として遭遇するにいたったのです。そして、鳩を密着取材したいと欲望を持つようになり、ときには捕獲したり、絵を描いたり、付き合うことになりました。私にとって素材とは、不思議さ奇妙さの質感を捉えたい欲望に基づいてあるようです。

議論というか、まずは発表として、みなさんの素材話があれば聞かせてください。
そして、あなたにとっての素材とは何であるか。