2011年7月19日火曜日

お知らせ 「いいから俺の話を聞いてくれ」をスタートします。

こんにちは。
突然ですが新しいことを始めさせてもらいます!
それはこれまでの「問題集」の良いところを保持しつつ、個人の興味と関心を広く出力させるものです。※1

問題集は、良質の問題提起とそれに応答する面白いコメントの「連なり」が最大の魅力でした。これは一人で問題を抱えている状態よりも高い報酬感を得られます。知的に嬉しく興奮するという感じです。それでこれまでは「問いかけ」が軸の形式でしたが、それを各現場の前線から届けられる「探求すべき技術」「伝えるべき面白い知見」からのスタートにします。それを体現するシリーズのタイトルは「いいから俺の話を聞いてくれ」です!

この言葉は内田樹氏の近著『最終講義』から引用しました。 ※2
氏が哲学者エマニュエル・レヴィナスに会ったときに感じた “ 学者というのはこうでなければいかん ” の態度です。
でも私は学者ではない、というなかれ。
こういうのは「学者」に限らず、どの分野の前線にも共通でなければいけないと思います。わくわく、どきどき冒険をするのは学者だけのものではありませんし、発見したその宝物は他人にとっても宝物であって、しかも共有すると嬉しいという特性を持っています。その特性を味わうことの楽しさは “ 学者というのはこうでなければいかん ” の態度に通じるでしょう。

ということで始めます。※3
「いいから俺の話を聞いてくれ」シリーズ!
詳しい形はやりながら、活性化する方向へ、舵を切ります。ではひとつ宜しく御願いします。


※1 問題集は終わった訳ではなく、休火山なので、突然始まることもあります。
 

※2 ほんものの学者というのは「いいから俺の話を聞いてくれ」という人なんですよ。自分は哲学的な荒野をこれまで駆けめぐって、それなりに必死に道を切り拓いてきた。それは後続する君たちのためにやったことなんだ。だから俺の話を聞いて、それを理解して、俺の仕事を引き継げ、と。こっちにバシバシと「パス」を蹴り込んで来るわけです。こっちに受けとる技量があるかどうかなんて二の次で、とにかくそこに誰かがいたら「パス」を出す。僕はこのレヴィナスの「そこに誰かいたらとにかくパスを出す」というスタイルがほんとうに素晴らしいと思ったんです。
(内田樹『最終講義』pp.90-pp.91)

※3 1発目は蓮沼から始めます。本日中。

0 件のコメント:

コメントを投稿