2011年6月6日月曜日

問題28 時間とうまく付き合う60の方法

 「時間」は誰でも平等に持っています。高校サッカー部時代に、私は「時間は有限、可能性は無限」という横断幕を見ながら3年間を過ごしました。そうです、時間は有限なのです。1日は24時間と決まっているし、生きているのだって長くてもあと数十年。でも使い方はそれぞれです。

 私が最近、時間について考えることを大きくまとめてしまうと、できるだけ有効に使って、できるだけ楽しんで、できるだけ成果を残したいということです。やりたいことが多ければ、限られた時間の中では全てをやりきることはできないかもしれません。でも、どう過ごすかは自分次第。日々、自身に問いかけながら時間の過ごし方を考えていますが、この機会に皆さんが考えていること、実践していることを共有して、これからの時間をより充実させていきたいです。また、ここで発表することによって自分自身の時間との付き合い方を再確認していくことができれば…と思います。

 まずは、時間に対して皆さんがどんなことを意識しているのか、挙げていただきたいです。目標はひとまず60個!(時間特有の60進法を意識しています。60個挙げて、1歩進みたい!)

 私は時間との付き合い方に満足できず、どうすればもっとうまく付き合えるのか考えることが多いです。最近は、いくつか進行しているプロジェクトと、自分の作品の制作、ドイツ語の勉強、そして普段のインプット、これらを限られた時間の中でどう進めていくか考えています。そんなことから今回の問題として提出させていただきました。

 それではよろしくお願いします!

16 件のコメント:

  1. *1 細かい目標(締切)を設定する
    複数のプロジェクトを尻で合わせようとすると、どうしても詰まってきてしまう。追い込まれてきてしまうと、最後のブラッシュアップに時間がかけられなくなってしまったり、何かを「作る」醍醐味を味わえなくなってしまったりするから、なるべく細かい目標も持つように最近意識しています。

    * 2 「朝」を意識する
    朝は頭がすっきりしている。この時間を有効に使いたい。毎朝寝坊で、毎日朝から追い込まれているのはもったいない!朝こそ優位に立って過ごしたい!

    * 3 睡眠は確保
    2番の「朝」を意識することとも重なりますが、すっきりした状態を有効に使いたいので、なるべく睡眠は確保できるようにします。どうしても削らなければならない場合もありますが、基本的には確保!

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  2.  これは次のひとは「4」から始めればいいのかしら。それともひとりひとりが60個のリストアップを目指すのかな。たぶん前者だよね…。

    *4 「代謝」をよくする

     いろんなレベルでの「代謝」が大事だと思います。つまり、入れたものは出し、出したあとに入れる、ということです。これ否定しようのない生命の本質です。

     どういうことかというと、インプットばかり、アウトプットばかりでは、いくら時間を量的に使っても、なかなかうまくいかない。学んだらかたちにし、かたちをつくって不満が残ったらまた学ぶ。家にこもったあとは外出し、外で遊びすぎたら家で静かに過ごす。それを時間と活動における「代謝」と考えます。

     時間は、ある活動に費やした絶対的な量も重要ですが、それぞれの活動のバランスや順序によってまったく質を変えると思います。だから、量を確保することだけでなく、順序やバランスに気を付けるべきではないかと、最近は考えています。

     ポイントは、理想的な「均衡状態」は、きっと偏ったものではないはずだ、ということです。ぼくはかつて、とにかくできるだけ早くいろんなことを知りたくて、毎日一日中本を読んでいましたが、何を読んでいたのかだいたい忘れました。逆に絶えず作品を作り続けることにも問題があると思います(井上雄彦と浦沢直樹を比較せよ)。極端な時間の使い方は、実際には効率的ではない。

     「代謝」を意識して、うまく時間をまわしていったほうが、結果としていろんなことが速く動いていくようです。そのとき一番重要なのは、今自分に必要なのはインプットなのかアウトプットなのか、家にいることなのか外に出ることなのか、一日単位でも、長期的な展望のもとでも、自問を忘れないことだと思います。自分の中の「声」を失わないこと、と言ってもいいと思います。

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  3. 番号はつなげていきましょう!

    【*4「代謝」をよくする】は、納得・同感です。
    これに関連して、

    * 5 寝かせる時間を作る
    1つのことを集中的にずっと考え込むよりも、ある程度のところで寝かせておいて別のことを進める。それを進めている間に、ふと前に進めていたことに関するアイデアが見えてくる。視点を変える時間を作ることで、また新たな視点から考えることが出来ます。
    頭の中では勝手に思考が続いているという話を聞いたこともあります。

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  4. 林さんはドイツ語の翻訳をされていますが、翻訳という作業の中で時間を意識することはありますか?
    皆さんも、それぞれの分野で意識されていることがあったらぜひ教えてください。

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  5. 8 映画の時間

    ひとつの映画にはいくつもの時間がある。
    上映時間という実時間、劇中時間と、体感時間と、各カットの持続時間。

    小津安二郎の映画は、各カットの時間が同じにしてある。ジガヴェルトフは違う時間の流れ方をしたカットを重ねる。雨月物語の時間を変質させた1カットを思い出してみる。「アタランタ号」の海の中、ヴィゴのスローモーション・・・さらに映画を観るわたし。撮られている場所の時間。編集のリズム。
    ぜんぶ時間に関係している。
    それらの映画のなかで、どんな時間に身をさらしていたか。どんな時間が生まれていたか。

    わたしにとって時間を演出することを考えることは、映画のことを考えることにつながってきます。

    その時間の編集や演出や選ぶ技術は「自分のもの」だけど、時間がそれぞれ属するあらゆるもの、ひと、場所の時間を「使いこなさない」ようにしたい。

    自分で時間を決めず、そこにある時間を感じ取り、身をゆだねることを大事にするのは、そのようにものを感じるためのひとつの方法でもある。

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  6. 【*6 やっていることをリンクさせる】に関して、
    ここで生まれた1の労力分の時間は、どう使っていきますか?

    それと、
    >さらに私は、自分のプロジェクトに幅と深みが生まれる感じがしている。)
    これについてももう少し聞かせてくださいな。

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  7. 【*7 ゆずれないところを決める】について、
    これは、これ単体で見ていると、ホーと納得できるのですが、
    例えば*6と関連させて考えてみたときに、「譲れないプロジェクト(やっていること)の譲れないところからやっていく」という優先順位以外にも考慮した順位ができるのかなと思いました。

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  8. それと、助友さんは「空間」とか「場」を考えて、作ることをしていますが、そういうときの「時間」で何か意識していることはありませんか?

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  9. 郷田さんの、
    >自分で時間を決めず、そこにある時間を感じ取り、
    >身をゆだねることを大事にするのは、
    >そのようにものを感じるためのひとつの方法でもある。
    というのは、旅でも同じような、または似たような体験がある気がするのですが、旅好きな郷田さんとしてはどうでしょうか?

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  10. * 9 時間の波をつかむ!
    一日の中でも、常に一定の時間が流れているわけではなくて、頭がすごくすっきりしている朝があったり、少し眠たい昼間があったり、何だか疲れているような夜があったりします。時間帯によって、その時間をどう過ごすのか、その時間にあった過ごし方をすることで効率が上がります。
    例えば、頭がすっきりしている午前中は、考えることをするとよいとかは、よく聞きますよね。

    そういえば、サッカーでも時間帯を意識した戦い方がありました。
    立ち上がりの時間帯はなるべくセーフティーに試合を運ぶ、中の時間帯はしっかりボールをつなぎながら組み立てる、等々ありましたねー!

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  11. *10 地震のあとの時間に注意
    地震のあとの時間の進みが速い。私だけかな?
    「おぉ揺れた!」の体感のあと、震度と震源地と津波情報を家族の安否を確認。次なる揺れに警戒しつつ、テレビニュースとツイッターの反復。
    これであっと言う間に一時間→二時間→半日と時間が過ぎ去っていく。時間を忘れてしまうのだ。

    *11 勉強会の時間
    「勉強会をやっていて意味はあるのか?時間の無駄じゃないか?」と言われたことがありますか?私はありますよ。
    自分の専門分野に没頭して重要なことを取り出し、それを人に伝える。また人の問題提起に応答していくことで深い考えを持つことが出来る。
    そこで得た「考える回路」は、そのあと何回も通る貴重な道になります。こういった経験がし易い仕組みを内包するプラットフォームは決して時間の無駄とは思わない。
    ただ一方であまり理解されないのもわかる。
    その時間はお金を稼いでいないし、大学の単位がもらえるわけでもない。また恋人や家族と過ごしていない。そういった社会で意味があるであろうと認定されている時間の過ごし方からみたら、勉強会はあまり優先されない時間だ。なので「無駄じゃないか? 内輪だけで意味があるのか?」と尋ねられたら、そう言う人には「丈夫になるためのトレーニングとしての勉強会」であると応えようかなと思っているところ。

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  12. <翻訳の時間について>

     目下、ふたたび翻訳の仕事に集中しています。翻訳は、ぼくが書いた「代謝」をそれ自体の中で完備した作業です。インプットして、アウトプットするわけです。したがって、翻訳に集中し始めると、ほかのことがなかなかできなくなります。完結してしまうわけです。

     ただし、いろんなレベルで「とても大変」な翻訳の場合は、原子力発電ではないけれど、「使用済燃料」みたいなものがからだの中に溜まり始めるので、それを再処理するプロセスが必要になります。具体的には、特定のものを毎日食べるとか、特定の作家の映画や小説を順番に見ていくとか、自然となんらかのリズムに従うことが多いです。そうすると「使用済燃料」がまた再利用できるようになります。まあ要するにリフレッシュするわけです。

     ところで、議論がいろんな方向にはっちゃけまくってますね。それはそれでいいことと思います。太田先生がここからどうするつもりか、楽しみです。

     蓮沼くんの「勉強会の時間」については、ぼくも何か書きたい気がするけど、またいつか。

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  13. さて、まず助友さんからのいくつかのリクエストに反応してみます。


    >太田くんが*6と*7を関連させて考えたときにうまれた、
    >「優先順位以外にも考慮した順位」についてもう少し詳しく聞いてみたいです。
    これは、例えば譲れない順で優先順位をつけていったときには、
    ABCDEFGHIJKとなっていたものが、
    *6を考えたときには、
    ADFGBCEHIJKと並べた方が全体としてはうまくいくパターンもあり得るだろうなという話です。ただ結局はそういったことを全てひっくるめて考えているだろうから、そんなに深く追求して考えることではないかなと思います。


    >「空間」とか「場」を考えて、作るときの「時間」が、私のどの時間をさしているのか
    >ピンときていません。
    >言い換えてもらえると、太田くんが聞きたいところを答えられるかもしれません。
    >私としては、私が「空間」とか「場」を考えて、
    >作る時間について考えるヒントがもらえると、嬉しいです。
    これは幅広く考えられると思いますが、特に「この時間」と指定したつもりはなくて、「空間」とか「場」とかを考えるときにどんな時間の考え方があるのか広く聞いてみたかったというのが真意なので、そんな深く考え込まないでください。自由に考えてもらえるとありがたいです。

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  14. >「勉強会をやっていて意味はあるのか?時間の無駄じゃないか?」
    >と言われたことがありますか?
    ありますね、僕も。そして、自問自答したこともあります。
    勉強会のときに流れる時間は、日常生活の中にはあまりない特殊な時間だと思います。ある種の山場です。勉強会に向けての準備の時間があって、それから勉強会というものすごく集中した時間がある。そこには、別々の時間を持った人が集まるから、人数分の時間を一気に味わったような気にもなる。終わると今度は帰りながら勉強会のことを思い出す。
    こういう山場の時間を適度に作っておくことが大事なんじゃないかと思っています。

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  15. 林さんの「代謝」について、自分にあてはめて考えてみています。
    皆さんも「代謝」について、それぞれの立場で何かあれば聞かせてください!

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  16.  助友さんがたくさん書き込んでくれるのはすばらしい。ただひとつひとつが長いね。個人的にはもうちょっと要点をぎゅっと詰めてほしい気がする。

     それと、「くそ勉強」の内側で「くそ勉強の時間は生きることだ」みたいなのは、ぼくはちょっと恥ずかしいかな。正直なところ、外側からさぶい集団、もしくはちょっとした新興宗教、あるいは自己啓発グループみたいに見えるんじゃないかと危惧するね。

     それは半分冗談だけど、もうちょっと真面目に書くと、「くそ勉強の時間は生きることだ」と助友さんが書いたとき、ぼくは反応できない。なぜなら、「生きる」という言葉に含ませる意味は各個人でまったく異なり、当然助友さんとぼくでも異なるから、賛成も反対も、そもそもできない。共通の基盤の上に成り立つものとしての「議論」が成立しない。

     率直に言ってしまうと、「くそ勉強の時間は生きることだ」という発言は、「感想」であっても「意見」ではないと思う。それはエッセイと論文の違いと同じ。ポイントは、ものごとを発展させる基盤をつくらない(つくる必要のない)主観的・一回的な発言か、あるいは原理的にどんな相手であっても同じ地点から思考を継続できるよう配慮された言葉か、ということ。

     このブログで個人的な感想を述べてはいけないというルールはない。ただ、ぼくは複数の人間が声を交わす以上は共通の基盤の上に何かを築いたり、何かを更新したいと思っているから、自分にしか通じない(と思われても仕方ない)言葉ではなく、そこから他人も出発できる言葉を使おうといつも考えています。

     助友さんのエピソードが感動的なのはわかるんだけどね。逆に言えば、どういう反応がくることを期待して書いたのか、ちょっとわからないとも言えるかな。「なるほど、助友として生きているんだね」と言われても、ぼくは困惑してしまいます。決して書きこんでくれること自体を非難しているわけではないから、こういう意見に萎縮しないでもらいたいんだけどね。

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