昨日、川俣正[通路]展(2008年2月-4月)のラボメンバーによる忘年会がありました。
そこで改めて当時の状況を振り返ったところ…あれは「合宿」だったのではないか?と意見が出ました。
50日間に及ぶ活動が続けられたこと、連日15人〜30人が通っていたこと、ラボと呼ばれる7つの活動があり機能していたこと…よくそんなことが出来たなぁ!という驚きが今もあります。
それを支えたのは何か?
もちろん「川俣正」の個展であり、枠組みがあり、作家がいたこと、それが成立させた一番の要因だったと思います。それに対して「ラボスタッフ」とはソフトであったし、展示物でありました。自らは見世物でもある、そんな仕組みがあるなぁと思いつつも、よく集中と持続力を保ったまま50日も出来たことに、展示物は展示物なりの、ある実感を覚えるのです。
その実感にあるのが、熱を帯びた仲間意識。そしてそれは「合宿」のようでもあったと。
なにせ、ご飯は10合も炊く。おかずは玉子と納豆が基本。同じ釜の飯を食う連帯感。そして朝10時から18時までの勤務。賃金はなし。スタッフは展示物であり、表現者である。なんだか変なのに巻き込まれた被害者感もあれば、その憂さを晴らすように18時以降は居酒屋へ行く。
この繰り返しの中に生まれた変な仲間意識は、いつも熱を出していたように思う。生活を共にするような距離の近さといい、よくわからんがやるしかない状況の濃密さは、まるで合宿であった。合宿は何人かが寝食を共にしながら、目的を共有した練習であり、研修するような方法。
そう考えると50日間の展覧会においてスタッフは、練習、研修、勉強をしていたのではないか。それなら長期にわたり、集中できたのもうなずける。なぜなら勉強は楽しいから。
これからも、「合宿」のやり方は大変有効だと思いました。そんな忘年会でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿