2011年2月28日月曜日

問題16 拠点となるところ

今回は「拠点」について考えたいです。
実は、今回の問題集のテーマを考えていて、自分のいまの関心のテーマは「旅」や「移動」だったのでその話をふりたいと考えていました。しかし、場所の移動について考えているうちに、「自分の拠点」について気になりはじめました。なぜ「移動」や「旅」に惹かれるのか。そのことを考える前に、違う場所に行く前の「いまの場所」とはなんだろうかと思いました。旅や移動が、いま戻ってくる拠点が前提にあっての行動なのか、違う拠点を探してのことなのか、それはどちらもありえるでしょう。とにかく、いま自分がいる「拠点」というのがそれぞれあると思います。

私自身は、いま拠点となっているのはおそらく仕事で、そこを拠点としながら、勉強をしたり他のことを考えたりしている。勉強会も映像を撮ろうとするのも、仕事という拠点を中心に考える。そうすると時間とか体力とか考えて行動するようになることが弊害になったりすることもある。自然と自分の一番重点をおくものに寄り添って拠点はできていくのかもしれないけれど、複数の活動をひとつに絞るのは難しい。でも「拠点」のおきかた次第で、やれることの幅が拡がるかもしれないと考えます。場所でも時間でも工夫の余地がある。

「拠点」となるところ、作業場、家族、ネット、会社、学校、共同体、自宅の部屋、さまざまに考えられますが、今回はそれぞれの拠点についての考えを聞かせてください。いま自分にはこういう拠点がある、これからこんな拠点で活動したいと考える、ここを拠点にやると他の活動もうまくいくと思う、理想の拠点はこんなところ。などです。たとえば蓮沼くんはアトリエを借りて制作をしている、林くんはネットで発信をしている、太田くんも新たな拠点をつくろうとしている、そんなそれぞれの活動の具体的な実感も交えてほしいとおもいます。

2011年2月19日土曜日

お知らせ

「くそ勉強会」のお知らせ

日程:2011年2月21日(月)
時間:19:00〜
場所:水道アトリエ
発表者:臼井隆志、太田泰友、郷田真理子、蓮沼昌宏、林立騎

2011年2月18日金曜日

問題15 何を共有できるか

 いま、『シェア』という本をたいへん面白く読んでいます。

 ここ数年、世界中でさまざまな物・場所・人・技術を「シェア」する取り組みが起こっているそうです。いらなくなった服の交換、自動車や自転車の共有、工具を揃えた作業スペースの共有など、具体的な事例が本の中で無数に報告されています。わたし自身に身近なところで言えば、ツイッターも情報のシェアとして捉えることができるし、このブログのコンセプトも意見交換を小さな輪で閉じるのではなく、より広く「シェア」することでアイディアを発展させていこうというものでした。

 21世紀になって人類が飛躍的に善良になったということは考えられません。たしかに環境問題や食の安全に対する関心は高まっていて、それが「信頼できる範囲でのシェア」を促している面はあると思いますが、おもに「シェア」を支えているのは思想ではなく技術でしょう。つまり、これまでであればシェアしたいと思う人がいてもそのための「コスト」(金銭的、時間的、心理的コスト)が高すぎてシェアできなかったことが、今では情報技術(ネット環境や携帯デバイス)の発達によってその「コスト」が劇的に下がり、人々がごく自然にシェアを始められるようになった、ということです。ここまでは前提。

 もう一つのポイントは「近さ」だと思います。これも「善良さ」とはあまり関係のないことです。どういうことかと言うと、私見では、ひとは「どのみちもともとやろうと思っていたこと」に関して、特にシェアへと動いていきます。どのみち赤ちゃんの服は誰かにあげようと思っていた→それならネットでほしがるひとにあげよう、とか、どのみち作業スペースが必要だと思っていた→それならひとと共同で使おう、とか、どのみちバカンス中は誰かに家を貸そうと思っていた→それなら世界中の旅行者に利用してもらおう、とか、そういうことです。「もう一歩」進むことができるのは、身近なことに関してのみです。いくら高尚な思想でも、それが「遠い」ものならひとを動かすことはできません。

 この本を読み始める一ヶ月くらい前から、わたしは自分がネットでしている情報収集の一部をツイッターで発信し始めていました。それは「これを役立ててほしい」とかそういうことよりも(そうした気持ちが全くないわけではないですが)、どのみち情報収集はするし、しかもたまたまReederという非常に便利なアプリケーションを知ってまさに「コスト」(時間的・心理的コスト)が著しく下がった時期だったので、「発信してもしなくてもほとんど変わらない→じゃあ発信したほうが自分にも他人にも利益がありそうだ」ということで始めたのでした。これは先日の「問題13」のあとの議論とも関係していて、「たくさん映画を観てきたのだから映画評をネット上でアップしてほしい。あなたの知見をシェアさせてほしい」と言っても、相手がもともと映画評を書いていないのであれば、その一歩を踏み出すことに対するコストはとても大きく、いくら「シェア」のコストが低くてもそう簡単ではないのかもしれません。

 長くなってすみません。こうした「シェア」の現状とそれに対するわたしの意見を前提として、まず、1)「シェア」にどのような可能性を認めるか/認めないか、さらに、2)どのようなものをシェアしたいか、これについては、2−1)「シェアさせてほしい」という他人に対する欲望/必要と、2−2)「シェアしてもらってかまわない」という自分の能力/習慣/所有物の両面で議論できればいいと思います。2に関してはわたしもさらに書きたいことがありますが、長くなったのでこのあたりまでを問題提起として、あとは議論で続けていきたいと思います。よろしくお願いします。

林立騎

2011年2月14日月曜日

問題14 肩書きをどうするか

名刺等、自分を紹介するときに必ずといっていいほど付きまとう「肩書き」。
自分のことを他所で誰かが紹介してくれるときにも必要になってきます。
またネットワーク上で、自分をどう名乗るかは重要なポイントだと考えられます。
(一方で、肩書きなんて必要ないという意見もあるかと思います。)

そこで今回は、肩書きを考えてみたいと思います。今まで使ってきた肩書きを見直してみませんか?
まず、現在の肩書きを教えてください。そして肩書きを通して得た経験があれば教えてください。
そこから自己を紹介することについて発展させていき、新たな肩書きが必要となれば考えていく場にしたいと思います。

私は、学生ですが、「編集者」という肩書きを使っていました。
が、最近、新たな肩書きを自身に装着しました。それは、private press planner です。
では皆さん、よろしくお願いします。

スティーブ・ジョブス

スティーブ・ジョブス スタンフォード大学卒業式辞

2011年2月11日金曜日

問題13 素材と付き合う技術

『問題9素材の欲望』では様々なヒントを持ったコメントが提出されました。
「素材と出会って初めて、欲望が生まれるのではないか」という仮説のもと、あなたにとっての素材を発表してもらいました。そのコメントの中で一番の収穫は「わからないが惹かれる」という共通ではないでしょうか。例を挙げると…

「わたしがハインリヒ・フォン・クライストの作品を好むのは、意味不明でわからないからです」(林君)
「人も環境も生活も、未体験の領域は非常に刺激的なものなんだと実感しました」(太田君)
「自分とはまったく違うものなのになぜか惹かれる気になる」(郷田さん)
「公園に住まう鳩の群れにいつも変な気持ちを抱いていたのです」(蓮沼)

これらのコメントで説明される素材とは「意味不明」で「自分とはまったく違うもの」で「未体験の領域」で「変な気持ち」を抱いています。ここで共通して言えそうなのは、正体が分からない、だからこそ惹かれる素材なのだ、ということではないでしょうか。クラスの気になる子は恋愛対象になりえますが、その逆は恋愛対象にはなりえない…と。お付き合いしたいという欲求は、相手を知りたいがため。では何を知りたいのか、実はそれが問題だと思うのです。ただし、そこへ行き着くまでは時間がかかります。

「素材と出会う」のステップは経過したとします。
次のステップは、どうやってその素材と付き合っていくかです。
付き合うというのは=時間がかかるようです。

あの万有引力の法則を発見したニュートンさんは「りんごは落ちるのに、なぜ月は落ちないのか」と疑問に思ったそうです。これは始まりの素材との出会いです。それにしても「月」と「リンゴ」を同列して疑問に思うこと自体が凄まじいですね。そこから、考え続けて/付き合い続けて、月は落ち続けていることを発見したのです。リンゴと同様に落ち続けているが、地球も円運動をし続けているので、いつまで経っても落ちてこないのだ。と、知り得たのです。すごい話です。

出会った時、素材は素材に過ぎません。
ものにするためには、知り得るためには、付き合わないとならないようです。
そこで素材と付き合う術を持っているなら、それぞれの専門立場から意見交換しませんか。
ものにするためには、どんな技術を用いていますか?
専門性ゆえ容易には真似できないまでも、技にこめられた秘密に触れるだけで良い触媒になり得るのではないでしょうか。

まず、私から披露しますと、それは“ものをよく見続ける”ことです。
私は絵画を専門にしています。絵を描くということは対象をよく観察する必要があります。
そして精密に描写するなら数時間を要します。
まず普段の生活で、同じ素材(モチーフ)を何時間も観るなんてことないでしょう。
しかもそれを紙に記録していく。そんな過程をずっと過ごしていくと、ある瞬間、ものがよく見えるようになるのです。素材の細かいところまでピントがあって、まざまざとした質感を伴って見えてくるのです。この体験に比べたら普段のものを見るというのは、記号的に見ているに過ぎません。
ガラスのビンという記号的にモノを見る場合と、素材の質感をまざまざと感じながらビンという意味を再構築して見る場合は、報酬の度合いが異なります。このようにして見て描いた場合は、作品としてもいい結果を持ちます。

この技術のいいところは、じっくりと見ることで、観念的に見ている素材を一度解体させることです。なにか不思議な素材があるとしたら、何時間もそれを見ることで、その不思議さの秘密を知り得ることができるかもしれません。

こんな具合で、あなたの素材との付き合う術があれば、聞かせてください。

2011年2月7日月曜日

問題12 歴史の勉強

先日から毎日エジプトの報道を追っていて、遠く日本に住む私ですが、なにか変わるときの振動を感じていました。地球規模ではおなじ人間として、興奮が伝わってきて、ぞくぞくとしていました。

それで、こんどこそ歴史を勉強したいと思いました。
今回は、歴史の勉強のすすめかたをみなさんに相談したいです。
どんなふうにしたら、知識だけでなく、今生きてる世界に繋げられるか、楽しく勉強できるか知恵を貸してください。

歴史といっても幅広いのですが、世界史、それから日本史(とくに近現代史)を勉強しようと思ってます。前にも世界史を勉強しようと思って、高校生の教科書を読み始めたのですが、言葉の知識だけで、流れとかを感じられなかった。きっと自分が本気で必要としないとだめなのです。
今まで歴史を、自分を介して得ることができたと感じたのは、旅先の国でその場所にいたとき。衝撃をうけた作品、絵や小説や映画の世界をもっと知ろうとしたとき。そんなときはいまの自分の世界と、歴史と、場所とが近づき、なるほど!!という興奮を得ます。

しかしそうそう旅行して現地に行けるわけではないので、そんな経験を踏まえて、歴史の勉強の仕方を少し考えてみました。
1.英語の勉強と対応させる。(文章や英語の歴史の本などを参照する)
2.人に対して授業をする。(絵や映画をつかって自分の視点をからめる)
3.ニュースで気になったものから、深く知っていく。
4.歴史や場所をテーマにした架空の小説(またはシナリオ)を書く。
5.その時代のひとの「声」から資料をあつめ、想像する。(4と対応)

などです。

みなさんは歴史を勉強するとなったら、どんなふうに勉強するでしょうか?
または、もっと効率よくできるものなのでしょうか?
漠然と方法を考えていましたが、できれば、「テーマの絞り方」や「切り口」の点でも、意見ももらえたらうれしいです。



2011年2月4日金曜日

問題11 何か困っていませんか

 先ほど帰国の機上で映画「ソーシャル・ネットワーク」を見ました。感じるところの多い映画で、今日見られてよかったです。

 フェースブックの発端は私的な問題の解決にありました。私的な興味の発展が今のエジプトにまでつながる数億人規模のネットワークをつくりだし、公的な領域での影響力を拡大しています。

 私的で具体的な問題に解決策を与えること。しかもそれを自分だけが享受できるようにするのではなく、「ついでに」他の人にも役立つ形にして公開・共有すること。それが一つのポイントです。(また、アイディアと技術が同一人物の中に共存することという、同様に大事な第二のポイントを感じましたが、それはまたいつか扱います。)私的な問題の解決をシェアする(=公共化する)インフラが準備されたことで、私的/公的という境界線はますます見直しを求められていると思います。

 そこで、今回はやや趣向を変えて、解決したい私的問題をシェアしてみたい。ベタベタした「わたし」の問題を開陳するのではなく、いつもの議論のように理論的なものともやや異なる、ひとに相談し共有したら何かいいアイディアが出てくるかもしれない現実的問題を提起してみましょう。そしてそれぞれ何か意見・アドバイス・提案できるようなことがあれば、それをコメントしあいたいと思います。

 まずはわたしからいくつか。

1)妊婦に対する失業保険制度にとても困っています。妊娠が理由で退職した場合、失業保険が給付されるのは出産が済んで6ヶ月後からだそうです。つまり、妊娠6ヶ月で退職したとすると、退職から1年ほどは失業保険の給付を受けられません。失業保険が「求職中かつ就業能力のある失業者に対する保険給付」であるというのがその理由のようですが、わたしに言わせれば「職を離れて経済的困難にある者を支援すること」が本来の趣旨であるべきです。にもかかわらず、妊娠・出差期間という普段よりも(あるいは「普通の失業者」よりも)さらに多くの経済的負担を強いられる場合に、よりによってまったく支援を受けられない。これは大変おかしなことと思い、とても困っています。ただし、制度を変えたとしても困難は残ります。というのも、失業保険受給者は毎月管轄の部署に手続きに行かなければいけないのですが、例えば里帰り出産の場合、出産の前後2〜3ヶ月を郷里で過ごすため、手続きに出向くこともできないわけです。これには大変困っています。

2)引越しが困難です。「ソーシャル・ネットワーク」を見ていても感じたけれど、何かアイディアやプロジェクトを思いついたときに友人や相談相手が近くにいるというのはとても大切で、今からでもそういう環境をもちたいと思います。しかし「東京」と呼ばれる地域は広すぎるし、敷金礼金といったシステムも含め引越しにはかなりのお金がかかる。それでも「環境」をいかに整えるかはやはり重視したい。もしかしたらこの「東京」で物理的な近さを求めるのは最初から諦めて、インターネット等を使った別の「近さ」の構築により注力すべきなのかな、とも思います。とはいえ、4月に子供が生まれたら子育ても手伝ってほしいので(実際親族が近くにいないのだからその方向しかないと思う)、物理的な近さも必要なのですが…。現実的な問題です。

3)文房具をつくることってできるのでしょうか?

 「私的問題」の紹介と、他の人の問題への意見は分けて書きこんでくれたらいいと思います。

 今回はいつもより気軽にやりましょう! 単純な問題、思いつき、半分冗談、なんでもいいと思います。