2011年1月24日月曜日

問題8 3D から考える

3D映像が流行っています。

3D映画に始まり、テレビ、家庭用ビデオカメラ、ニンテンドーDS、携帯電話などの商品がぞくぞくと作られています。大流行というわけではないかもしれませんが、家庭用にというのが目を引きます。近年になってどっと3D映像が身近な技術として売りだされているのはどうしてなのでしょう?

3Dの歴史は古く、18世紀のファンタスマゴリアや、立体写真の流行など、人々は昔からそれに親しんでいたわけだけれど、いままでは娯楽のひとつ、驚きの見世物という特別なものでした。映画史上でも3D映画は何度か試みられていますが(リュミエール兄弟やヒッチコックも3D映画をつくっていた)、現れては消えていったのも、これまでの映画を刷新するほどではなく、新しい技術、見せ方のひとつにとどまっていたからでしょう。
しかしそれ以上に続かなかった一番の理由は、目が疲れて耐えられないというのと、それほど必然がなかったことだと思います。

3D映像は、今の時点では「身体の機能を制限する」ことで成り立つ技術です。眼鏡のあるなしにかかわらず視線の角度や姿勢などを拘束し、身体は自由ではありません。
こちらを動けない状態にするという代償によって、動きのある立体の「像」を得る。
わたしはインターネットと少し似ていると思いました。ネットでも画面の前にいることが条件で操作する体の状態はある程度拘束されますが、その先に広がるものは全世界であり、そこで活動(仕事)する自分の「分身」が存在しています。実の身体を伴ってはいないものの、実感としてはかなり自分に近いものになってきています。
『アバター』で描かれていたような「分身」、自分の身体の一部と引換にしたもうひとつの「実体」です。そうした生活の変化が3Dへの抵抗感をなくしたのではないかと考えました。

しかしそれでも身近に扱える商品となって、今後の生活を可能性を秘めているのか?
いまはそこまで想像できず、やはり疲れそうと思ってしまいます。

みなさんは3Dは今後スタンダードな技術になると思いますか?
3Dに関心がなくても、ネット上での活動と自分自身の体そのもの(疲労とか現実に向き合える時間とか)の関係について考えてみたことはあるでしょうか?

もっとひろく技術と身体の折り合いで可能になることの話でもかまいません。





5 件のコメント:

  1.  3Dが勢力を拡大しているのは、テレビ、映画、ゲーム業界等が新しい領域を開拓したがっていることも大きいのでは? 生産と消費(=経済)をまったく無視して「必然」を語ることができるのでしょうか。リュミエールやヒッチコックの時との違いもそこでは? 根拠のない印象論ですが。

     「身体の機能を制限する」ということに関しては、今や映画館に来ること自体が著しく身体を制限することです。だからそれ以上は眼鏡をかけることなど大した障害ではないと思う。映画を見ることがすでに身体を十分不自由にすると受け止められていると思う。

     インターネットでの「分身」生活が3Dへの抵抗感をなくしたのではという考えは面白い。そうするとネットの利用が広がれば3Dも一般的に普及するということになるのかな?

     今回の「問題」に反応しづらいのは、第一に問われているのは何か、何を考えたいと思っているのか、いまいち焦点が見えないからじゃないでしょうか。もう一回「問題」の核心を要約してもいいと思った。いろんな質問しすぎだよ!

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  2. 映像メディアと身体の関係についての問題提起と受け取りました。
    今回の「3D」技術についていえば、そもそも人は外界を3Dとして捉えています。これまでの2Dが特殊であって、一眼カメラで記録された(片目を閉じて見える)平面的な見え方なのです。そのような平面的な映像を二重にして、メガネをつけたりして、3Dに戻している…。やはり、3D技術自体は昔からあったものの、主流にならないのは平面的映像で十分だったからではないでしょうか。

    とはいえ昨今、3Dに撮れるカメラや、テレビ、映画、携帯電話と商品がつぎつぎと世に出ていますね。流行っています。しかし、これは林君のコメントの「経済」に関わっているのではないか。映画やテレビが、自分のところの業界を盛り上げるために「3D」という企画を売り出しているだけにしか感じません、想像ですが。だって平面的な映像が、やや立体的になったからといって、なんだというのでしょうか。この冷ややかな感想は、私だけではない気もしますが。でもインターネットと3Dの関係は掘ってみると面白そうですね。youtubeをよく見るようになったことと、映像メディアの3D化は経済的な流れが指摘できそう。映画「サマーウォーズ」はネット上の自分の分身が、主要な登場人物でしたしね。分身と空間について面白い発展ができそうだ。

    それで話しはずれますが。
    これからは発達途中の「立体映像」ではないでしょうか。3Dの「やや立体的に見える」ではなく、映像の後ろに回り込めるのです! 立体映像の方が、鑑賞する身体をがらりと変えるのではないでしょうか。既存の映画館で立体映像の映画がやるとしたら、あの大きな天井を持つ空間を縦横無尽に役者が動くでしょう。そのとき観客はどの位置から見るといいのでしょうかね。「レッドクリフ」だったら弓矢が目の前まで飛んでくるのでしょう。分身と空間についてもより一層具体的になりますね。演劇の舞台のようで、幽霊のように表現される…。

    と、この議題に触発されて、いろいろ巡ってみました!

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  3. 3Dはたしかに、身近になった新しい技術を各方面必死に「売り出している」というような感じがします。
    やっぱり関心の中心は映像メディアと身体と分身の関係です。

    「分身」のテーマは、もう少し面白く出来そう。サマーウォーズもマトリックスもアバターも「分身」が闘いますが、どちらもそのダメージや攻撃が肉体的なものっていうのが面白いと思いました。分身の肉体が傷つくというか・・・実体の身体に「痛み」は伴わないけれど、彼らは実際には世界(実際の肉体を持った人間の世界)を救う戦いをしています。
    それで重要なのは、実体の生死にかかわる「戦争」だということでしょう。ゲームではなく戦争。
    ネットで誰もが個人の分身を持っている、その分身と実体の距離がもっと表裏一体になってきたら・・・
    分身の痛みによって、結果的に自分自身の肉体がどうなるか?という想像や研究の果てに「戦争」が変わることがあるかもしれない。。なんてことを思いました。


    >これからは発達途中の「立体映像」ではないでしょうか。

    わたしも立体映像のことを考えるとわくわくします!
    自分自身の肉体と立体映像との境界がなくなっていったら・・・とても楽しそう。
    いまの3D流行は必然的に立体映像実現に向かうと思います。立体広告とか立体電話とか・・・

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  4. 『問題8 3Dから考える』から、

    >関心の中心は映像メディアと身体と分身の関係

    >「分身」のテーマは、もう少し面白く出来そう。

    という取っ掛かりが出てきたので、焦点を絞って問題の再提出をしてはどうだろうか。それと、

    >自分自身の肉体と立体映像との境界がなくなっていったら・・・

    >分身と実体の距離がもっと表裏一体になってきたら・・・

    郷田さんは実体と分身について思うところがありそうだね。ネット上の私と、肉体を持つ私の距離が近くなるってどういうこと? 詳しく聞きたい。そういえば郷田さんはネット進出をしばらくのあいだ拒んでいたね。なにか関係がありそうだ。

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  5. 例に上げたような映画で、「分身」が傷つき、戦うのは、実体が物理的に傷つかないという一面があるけれど、大きな場面設定をみると、分身の戦いに勝利しないと実体の生活も命もおしまいとなっているよね。これらは映画だけど、「自分の肉体に影響すること」が共通している。

    たとえばチュニジアやエジプトの革命のように、ネットで自分の「分身」が動くことが、世界を変える動きをつくっていくのを目にしていると、「分身」は自分の複製という機能ではなく、ひとの肉体の一部というほうがしっくりくる。自分の肉体がさらされ、時に痛みや疲れを伴う、ネット上の自分の身体。それとのつきあいが不可欠ならば、分身と実体の境界線をつけて考えない、共存の道を探すべきなのではないか、なんて思いました。
    まだうまく整理できないのですが、ネットとの関わり方について、もう一度問題を立てなおしてみます。

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