2011年1月14日金曜日

問題7 移動中の時間は何をすべきか

 目的地に向かって電車に乗る。まわりを見渡すと、眠っている人や音楽を聞いている人、本を読んでいる人・・・と色々な人がいます。が、何だかそれも見慣れたものばかりの気がします。電車の中では、優先席があったり、女性専用車があったり、あるいは携帯電話はマナーモードにして通話は控えるというルールがあったりと、何かと制限もあります。

 移動というのは、ほぼ毎日付き纏うもので、個人差はあるにせよ、かなりの時間を移動に使っているかと思います。この移動の時間を効率よく使うことで、何か変わってくるのではないかと思うのです。

 そこで今回は移動中の時間の使い方を考えてみたいです。まずは、普段、移動中は何を考え、どう過ごしているか聞かせてください。また、移動中に感じる問題意識もあれば、ぜひ教えていただきたいです。問題意識の中から、移動中の時間を有効に使う方法を見出して、さらにそれを実践していければと思っています。よろしくお願いします。

* 問題7では、問題の議論から実践まで含めたいと考えています。

* 林さんは今、私たちが普段体験できない環境にいらっしゃるので、それも議論に加味していただきたいです。

10 件のコメント:

  1.  まずは思いついたことから。

     「移動」を、「決まったルートの日常的な移動(通勤、通学、買物等)」と「非日常的な移動(旅行等)」に分けて考えてみたいと思います。

     「決まったルートの日常的な移動」においては、ぼくは何か作業をすることが多いです。それも、漠然と本を読むとかではなく、その移動時間内に始まりから終わりまでが完結する作業をします。例えば電車でコピーした文献を読んだり、歩きながら電話で済ませられる用事を片付けたり。ポイントは、少し無理があるくらいの量を片付けようとすること。茂木健一郎氏の本によく出てくる「タイムプレッシャー」というやつで、ぎりぎりの時間のなかで処理しようとするのがゲーム感覚を生みます。「日常的な移動」における見慣れた景色、いつもの時間をどう変化させ、刺激のあるものにするかということを求めてやっているような気がします。

     ところで、この「日常的な移動」の問題点は、移動中にできる作業に制限があることです。つまり、コンピューターとネット接続が常にほしいが、なかなかそうはいかない。軽いノートパソコンやイーモバイルのおかげでかなり進歩してきたけど、まだまだ改良の余地がある。このデバイス&ネット環境&作業面積問題の突破口はやはりタブレットなのでしょうか。

     他方、「非日常的な移動」においては、ぼくは外をぼーっと見ます。個人的には、知らない土地を乗物に乗って移動している時ほど考え事が進む時間はありません。新しい刺激を受けると考えるようになるというのは動物としても自然なことと思います。

     一回一回の移動がそれぞれ特別なものであることが好きだし、そうなるように自分でも移動と他の何かを組み合わせて編集しているようです。

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  2. 私は「移動中の時間」をとても大切にしています。おそらく、大事なことのほとんどは移動中に思いつきました。
    人生の報酬をくれる私の移動は、主に散歩と列車です。これは、先の林くんのコメントで出た「決まったルートの日常的な移動(通勤、通学、買物等)」にあたります。ところで、なぜこれほどまでに移動から恩恵を受けられるのか不思議で、私なりに分析したことがあります。

    そして出てきた答えが「異なる時間の質を経験したこと」でした。
    移動中の時間の質と、移動していない時間の質は異なるという意味です。
    室内でインターネットをしたり、猫と遊んだり、コタツに入ったり、勉強・製作をしている「一時間」と、列車に乗っている「一時間」は体験のギャップからいっても強いです。自宅にいるときは、私の意識は家全体まで及びます。一方、移動では私の意識と体は揺さ振られます。散歩は歩くスピードに、列車は運行のタイムラインに、また他人や外界にぐらぐらと揺れてしまいます。そういう振動の時間に身を置くときに、ようやく問題が私自身に集約されるようで、集中して解答へ向かいます。揺れると輪郭がくっきりするのではないでしょうか。

    なので「移動中の時間は何をすべきか」の問いに対して、私は存分に揺さ振られるべきだと思います。ちょっとした地震を味わうという感じかも知れません。移動中は余計な空間に意識は使わず、身体の振動を体感するといいです。では、いまから常磐線に乗ってきます。

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  3.  林さんの「日常的な移動」における行動は、自身の意識によってコントロールできるもので、反対に「非日常的な移動」において新しい刺激を受け考えるようになるというのは、ある程度環境によって与えられるものと言えると思います。「非日常的な移動」において得られるものを、自分でコントロールしながら作り出すことは不可能でしょうか?

     蓮沼さんが経験した「異なる時間の質」というのは、移動中の他にも経験できる機会はありますか?それと存分に揺さぶられるためには、揺さぶられる体質が備わっていないとなかなか経験できないのではないかと思うのですが、その体質はどのように作られると考えますか?

     お二人の投稿から、移動中の時間に受ける刺激の重要性が共通して見えてきました。この刺激をどのように受けて、どのように消化するのかが一つのポイントになってくると思います。

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  4. 私は「移動」というと、自分自身で足を使って動く移動と、電車のようにある空間(ハコの中)にいて自分は動かずに運ばれる移動とに質が違うものを感じています。

    私は毎日の通勤の往復3時間の時間のうち、2時間は電車の中にいます。電車の中では、立っているときは窓の外の動きの移り変わりを映画のように楽しんでいたり、文庫本を読むときもあります。窓枠のフレームから移動する景色を眺めることは、ひとつの時間旅行をしているようでとても楽しい。座れたときは、本を読むこともありますが、まずほとんど寝ています。なぜか電車の振動と椅子の暖かさで、とても質のいい睡眠ができるのです。何が言いたいかといえば、わたしは電車をひとつの移動する「場所」と捉えているということです。路線によってその場所の質は変わって、外を見る時間が多かったり、本を読む時間が長かったりします。ともあれ電車では移動するハコの中、自分自身の体を自分で運ぶ責任はなく、体をまかせて、その「場所(空間)」でしかできないことをしています。

    一方で、歩くことや走ることで、自分の体を自分で運んでいるときの、体や気持ちのコンディションは全く違います。歩いているときは、その空間を瞬時に見極めて、速度を変えたり、日の当る右側にうつったり、気になる看板にちかづいたりします。このときほとんどが無意識で、脳というか意識がほぼ開放状態にあるけれども、体を自分で動かしている責任もあるという、全身をまとう緊張感があります。そうした状況で、私は頭の中を整理させたりしています。寝ているときも似た無意識状態がありますが、体を動かしているという全身が活動していることが、よりいい刺激となって現れます。わたしは映画やすごい絵を見たあとで、頭が空っぽなままただひたすら一駅ぐらい歩いてしまうのですが、全身で受け止めたものを、全身で消化しようとするからかもしれません。すぐ電車に乗ったり喫茶店に入ってしまうと意識の流れが断ち切られてしまってちょっともったいないのです。

    移動の時間というのは、ある集中した目的で過ごしている場所から場所へ行く間の、自由時間という感じがします。だからこそ体や意識は何にもしばられない状態になって、物事を整理したり、刺激を受け入れたりできるようになる。電車の移動も、ある場所の一つととらえているものの、時間の流れで見ると、自由な時間なので、ほかの場所とちがう状態を作り出すことができます。

    そうはいっても歩いている時がいつもそうなわけではなく、わりと意識がある目的に支配されていることの方が多いので(急いで目的地に向かっているなど)、旅や散歩の時のほうがこうした意識の開放状態を得られる気がします。

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  5. >「非日常的な移動」において得られるものを、自分でコントロールしながら作り出すことは不可能でしょうか?

     ぼくにとっては「日常的な移動」の時間を作業に使うこと=そこに刺激をつくり出すことで、刺激が生まれると思考や行動が進みます。だから作業をしているときほど考え事もできる。逆にいつも見ている風景をずっと眺めているのはあまり好きじゃなくて、退屈して考え事もはかどらない。何か刺激を受けながらのほうがいい。

     「非日常的な移動」で得られるものと同じではないけど、思考や行動が促進される環境が生まれるという意味では、ぼくはいつも近い種類の「移動」時間をつくろうとしているのだと思います。

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  6. つまり、刺激をある程度コントロールするということですね。
    刺激が足りないときは、刺激を作り出す。
    これは移動に限らず大切なことだと思います。
    〈刺激が足りないときは、刺激を作り出す。〉というのを書いてみて、
    便秘を思い浮かべました。
    良い便(=アイデアや何かしらの結果)が出てこない便秘状態のときは、
    整腸剤を飲んだり、腹部のマッサージをしてみたり、ビフィズス菌を増やそうとしたりするのです。
    (・・・下品ですみません。)

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  7. >異なる時間の質」というのは、移動中の他にも経験できる機会はありますか?

    空港や船着き場、駅のホームって好きなんだよね。出発までの「待ち時間」は、比較的自由。なにをしてもいい時間。暇をつぶせる
    仕事ではないし、遊びでもないし、目的としては待つこと。

    >揺さぶられる体質が備わっていないとなかなか経験できないのではないかと思うのですが

    ちがう話かもしれないけど、私は乗り物によく酔う。酔う体質です。
    ブランコでさえ酔ってしまう。揺れることに自分の体を合わせられないから、気分を悪くするのかな。
    移動の刺激に慣れないと作業も考え事も出来ないね。酔っているときは早く外に出たくて、ちがう空気を吸いたくなる。だから空港や駅のホームっていうのは落ちつく。

    >異なる時間の質」というのは、移動中の他にも経験できる機会はありますか?

    それと「三上」というのがあるね。馬上(移動)、枕上(寝入り)、厠上(トイレ)の場所が、いい発想が出来るって故事。wikiによると1000年前の欧陽脩さんが書き残したそうな。これを初めて聞いたときは、たしかにと思いました。ずっと考えていて、ふと、いい発想に遭遇するのは私も「三上」が多かった。一人の自由な時間がふるまいが得られる勉強部屋よりも、〆切や、他者、移動、ある程度自由で、ある程度不自由な状況の方が作業が進行できる。そうみていくと、勝手に進行する列車があると、自分の進行もつられて進むのかも。良い便も、体という無意識の進行を感じるね。

    意識と無意識が一緒に進行すると、調子良さそうだね。

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  8. >〆切や、他者、移動、ある程度自由で、ある程度不自由な状況の方が作業が進行できる。

    >意識と無意識が一緒に進行すると、調子良さそうだね。

    たしかにそうかも。外部からの刺激はむしろ無意識に対して作用を及ぼして、それが再び意識にフィードバックされるのかもしれない。なにか枠組みやしばりがあると、ふいに考えが発展する。よくわからないタイミングで。そういう動きが一度に生じるのが移動かも。

    たぶんそれと矛盾しないことだけど、動物の本性として、安全な場所にいるときよりも移動中(=危険を含む外部の刺激に晒されている状態)の方が知覚が鋭敏になることもあると思う。安全と危機、安心と不安のバランスが思考を促すのかもしれない。移動と静止、目的に向かうことと待つことの関係も重要だ。二者択一というよりも割合の問題なのだろうけど。

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  9. 他人や危険の中での緊張感のある自由時間が、良い時間をすごそうとさせるのかもしれないね。一方で必然的にかかる移動時間は、許された時間というか、風邪をひいて休んだ時のような、干渉されない解放された時間を感じます。なにかしなきゃとか考え込んだりする力がゆるんで、体や意識の回路がスムーズになる。

    ついでに、私もとても乗り物に酔う体質です。ブランコでも自分が運転する車でも酔う。酔わなくなりたい。
    揺れを予測すると酔わないとよくいわれましたが、予測できません。
    電車ではあまり酔わないけど、眠くなるのは体を振動にあずけて無意識に酔いから守っているからかもしれないです。

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  10. >意識と無意識が一緒に進行すると、調子良さそうだね。
    なるほど!

    移動によって与えられる環境や刺激に、存分に揺さぶられることは良さそうですね。
    実践・・・というまでいかないかもしれませんが、(少しだけ意識して)揺さぶられてみることにします。ひとまず。

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