2011年3月22日火曜日

問題18 勝利の方程式

予定されていたスケジュールより1日投稿が遅れてしまって申し訳ございません。

勝利の方程式。今回はこれについて考えたいと思います。

自らの経験の中から得た勝利の方程式のようなものが、皆さんの中に何かしらあるのではないかと思います。手に入れた、あるいは作り上げた必勝法を、何か他のものに応用できるようになると、それは強力な武器になり得ます。
この勝利の方程式は、自らの経験の中から生まれている分、自身の中ではよく理解できていて、活用の仕方もよくわかっていますが、これを人に伝えようとするとなかなか難しい。表面的には理解してもらえても、本質的なところで理解してもらうのはそう簡単なものではないように感じます。
しかしながらこれを共有できると、武器を増やすことが出来て、戦闘能力が高まります。

そこでまず皆さんがどんな経験の中から、どんな勝利の方程式を手に入れたのか、そしてそれをどう活用しているのか具体的に聞かせていただきたいです。
武器の共有というような話は、このブログでも以前されていましたが、経験から生まれた貴重な勝利の方程式に的を絞って、その共有する方法について考えていきたいと思っています。

7 件のコメント:

  1. 私は、「精神のコントロール」を手に入れ、活用しています。
    中学校を卒業するまで、勉強はそれほど努力せずにいながらもよく出来ていたし、サッカーもそれなりの自信を持ってやっていました。
    しかし高校に入って、サッカーで試合に出られなくなりました。最初はこの状況がうまく飲み込めず、何かの所為にしていたり、認めずにいました。が、それでは全く状況が打開できませんでした。
    変わったきっかけは、まず自分の立ち位置を客観的に分析して、足りない部分を素直に認めたことでした。他人の意見も素直に聞き入れました。そして発見できた努力すべき点と、かっこつけずに誠実に向き合い、努力をする。それができるようになったとき、少しずつ道が開けてきました。
    一方、サッカーと向き合いすぎたことで、高校で学力が恐ろしく下がりました。一番上あたりから一番下ぐらいまで落ちました(何の“一番”かは触れませんが)。高校3年の夏になって、いよいよ下がった学力に目を向けなければならないときがきました。そのとき、サッカーで壁を乗り越えたときの精神状態を、勉強においても作り出すことを考えたのです。目を背けてきたものに対して、誠実になり、客観的な視点を取り入れて努力をし始めました。するとどうでしょう。またしても壁を乗り越えられたのです。それで、この精神状態を作り出すことは、どんどん活用していけるのではないかと考えたのです。
    それ以降、何度もこの「精神のコントロール」を実践してきて、自分の中での必勝の武器として大事にしているのです。

    これを後輩や弟たちに伝授しようと何度も試みてきましたが、難しい。私の中では、こんな便利なものはないと思うのですが、それを体験していない人には実感がないのです。実際に壁を乗り越えてみると、そういうことだったのかと実感するようなのですが。そこで、これを共有するにはどうするのが有効なのか考えてきて、この武器については実感することが一番大切だから、初めは小さくてよいから、実感を積み重ねていくことで体得させてあげるのが良いのだという結論に至りました。

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  2.  今回のテーマは地震から出てきたようにも思えるし、逆に太田くんが地震のとき日本にいなかったから出てきたようにも思えますね。面白いことです。

     さて、ぼく自身は依然として地震のことをまったくなしにして何かを考えたり論じたりできない状態なので、そこから始めたいと思います。

     個人的には、今回の地震およびその後の流れの中で、「勝利の方程式」ならぬ「敗北の方程式」が浮かび上がってきたように思います。それは、地震とリンクさせるかたちで表現するなら、「地面を失った者は負ける」ということです。

     地震のあと、特に原発の話題が前面に出てくるにつれて、それまでの自分の活動という「地面」をあっさり失い、突如として「にわか原発学者」もしくは「にわか反原発活動家」になったみなさんに関して、ぼくはもったいないことだと感じました。さまざまなレベルでものごとが揺らいでいる今こそ、自分の「大地」を、「地面」を再確認し、そこで足を踏ん張らなければいけないのではないでしょうか。自分は何が好きなのか、自分の専門とは何か、自分はどこからものごとを考えるのか、今でも失われない地盤とは何か、それを意識的に再確認しないと、やはり空気に流されるし、何が正しいかわからず情報に押し流されるのではないでしょうか。

     社会的にも、今一人一人の個人に求められていることは、誰もが突然原発について学び始めることではなく、自分にしかできないこと、言えないことを再認識し、実践することです。そしてそれによってこのピンチをチャンスとして利用することです。誰もが同質的になると、その「種」が絶滅する可能性は高まります。だから多様性が存在します。それが生命の基本戦略です。したがって、今こそ多様性をギラギラさせなければいけない。個々人は自分の得意なものを通じて危機に対応して生き延び、また「種」全体としても多様性を保持することで生き延びることができるはずです。

     浮き足立たず、個人として、また同時に集団の一部として、自分の「時間」をつくっていくこと。ひとまずそれが、今ぼくが考える「負けないための方程式」です。

    http://tatsukihayashi.blogspot.com/2011/03/6.html

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  3. 臼井です。

    太田くんにも林さんにも共感するところがあったので、コメントさせてください。

    何に勝利するための方程式かはわかりませんが、それは何か「手応え」を得るためのものですよね?自分のアクションに対して、やった、できた、わかった、効いた、という手応えを得るための方法論は、たしかにありますよね。「ライフハッカー」(http://www.lifehacker.jp/)はこれを上手く共有していると思います。

    ぼくに「勝利の方程式」というものがあるとすれば、「大きく捉え、最小単位で考え動く」ということかなと思います。ある大きな夢を描くとき、それを具体にするために、趣旨を一言(ことば)で言い切り、一番の見せ場(時間・空間)にフォーカスし、届けたい対象(ヒト)を決めます。こうして想定した核をぶらさずにマネジメントできると上手くいく、ということを経験してきたので、これをいつも心がけています。初めから「面」をつくろうとするのではなく、「点」が「線」になって「面」になるという考え方/組み立て方です。これは結構骨の折れる作業ですが、一つ一つの場面を大事にする、ということだと思います。

    ぼくはどうしても「大きなことがすごいこと」という価値観にとらわれがちです。でもお酒の席で「こんなカッコイイことがしたいんだ」と夢を語るよりも、「小さなこと」を外で実践するほうがよほど楽しいです。小さくてもいいから、何か動き始めることって大事な一歩なんですよね。「夢は大きく持て」に対して、「現実は小さく動かせ」という感じでしょうか。

    これは震災以降ぼくが考えていることでもあるのですが、津波しかり、原発しかり、「大きなもの」に揺るがされているので、ぼくが信じてきた「小さなもの」の価値を問い直すことが大事な気がしているです。献血や募金ももちろん大事だけど、先のことを想像すると、今まで続けてきたことを引き受ける方が大事かなと思うわけです。そのためには「大きなもの」に揺るがされて崩れた「小さなもの(=点)」を過去から拾い集めることから始めたほうがいい気がしています。小さな「点」は、組み合わせて「線」や「面」をつくることが出来るので。

    さて、地震の事を書こうとするととたんに思考がバラバラになってきましたが、ぼくがしたいのは「(過去も未来も含め)大きく捉え、最小単位で考え動く」というアイデアは、今とても有効なんじゃないか、という提案です。またコメントします。

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  4. 臼井です。

    太田くんにも林さんにも共感するところがあったので、コメントさせてください。

    何に勝利するための方程式かはわかりませんが、それは何か「手応え」を得るためのものですよね?自分のアクションに対して、やった、できた、わかった、効いた、という手応えを得るための方法論は、たしかにありますよね。「ライフハッカー」(http://www.lifehacker.jp/)はこれを上手く共有していると思います。

    ぼくに「勝利の方程式」というものがあるとすれば、「大きく捉え、最小単位で考え動く」ということかなと思います。ある大きな夢を描くとき、それを具体にするために、趣旨を一言(ことば)で言い切り、一番の見せ場(時間・空間)にフォーカスし、届けたい対象(ヒト)を決めます。こうして想定した核をぶらさずにマネジメントできると上手くいく、ということを経験してきたので、これをいつも心がけています。初めから「面」をつくろうとするのではなく、「点」が「線」になって「面」になるという考え方/組み立て方です。これは結構骨の折れる作業ですが、一つ一つの場面を大事にする、ということだと思います。

    ぼくはどうしても「大きなことがすごいこと」という価値観にとらわれがちです。でもお酒の席で「こんなカッコイイことがしたいんだ」と夢を語るよりも、「小さなこと」を外で実践するほうがよほど楽しいです。小さくてもいいから、何か動き始めることって重要な一歩なんですよね。「夢は大きく持て」に対して、「現実は小さく動かせ」という感じでしょうか。

    これは震災以降ぼくが考えていることでもあるのですが、津波しかり、原発しかり、「大きなもの」に揺るがされているので、ぼくが信じてきた「小さなもの」の価値を問い直すことが重要になっている気がします。献血や募金ももちろん大事だけど、先のことを想像すると、今まで続けてきたことを引き受ける方を個人として考えるべきだと思うわけです。そのためには「大きなもの」に揺るがされて崩れた「小さなもの(=点)」を過去から拾い集めることから始めたほうがいい気がしています。小さな「点」は、組み合わせて「線」や「面」をつくることが出来るので。

    さて、地震の事を書こうとするととたんに思考がバラバラになってきましたが、ぼくがしたいのは「(過去も未来も含め)大きく捉え、最小単位で考え動く」というアイデアは、今とても有効なんじゃないか、という提案です。またコメントします。

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  5. 林さんと臼井さんの、負けない方程式、勝利の方程式は大変興味深く、共感できるもので参考になりました。

    それで、これらの方程式を、他の人に共有するのは可能ですか?
    共有するために必要な工夫はありますか?

    自分の信じている方程式を、同じぐらいのレベルで他人に理解してもらうのは結構難しいと感じることがあります。

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  6. >「小さなこと」を外で実践するほうがよほど楽しいです。
    >「夢は大きく持て」に対して、「現実は小さく動かせ」

    臼井くんの方程式! とその説明!
    たいへん為になりました。私もさっそく真似してみようと思います。今すぐにもフットワークが軽くになりそうです。そして「小さい」ことへの力を感じます。小さいで読み解けば…

    林くんの式は小さい時間づくりとも読めます。
    > 浮き足立たず、個人として、また同時に集団の一部として、自分の「時間」をつくっていくこと。ひとまずそれが、今ぼくが考える「負けないための方程式」です。

    太田くんのは実のある一歩。
    >まず自分の立ち位置を客観的に分析して、足りない部分を素直に認めたことでした。他人の意見も素直に聞き入れました。そして発見できた努力すべき点と、かっこつけずに誠実に向き合い、努力をする。それができるようになったとき、少しずつ道が開けてきました。

    これらの方程式は「まずは一歩」的な小ささを大切にしています。方程式が有効なのは、問題解決に対して理にかなっているからですよね。道理です。
    ということは…3例のみで言うのはなんですが…小さなこと/一歩を大事にすることは問題をクリアするのに理にかなっている、と言えるかもしれません。
    少なくとも、いまこの状況で臼井くんが書いてくれた『「大きなもの」に揺るがされて崩れた「小さなもの(=点)」を過去から拾い集めることから始めたほうがいい気がしています』には、物事の筋道があると感じます。感動。

    その流れで「壁に階段」について説明させてもらいます。これは方程式を説明するのに役立つのではないかと考えています。
    それは何かと言うと…困難な問題はよく「壁」に例えられますよね。
    壁は垂直で容易には乗り越えられない。壁は難しさの形容です。壁を越えるのには、壊すか、扉をつけるか、地面を掘るのか、いくつか方法があるでしょう。しかし、ここで提唱したいのは、階段をつくることです。

    階段は小さい、一歩の連続で、高いところまで昇れます。心情としては、困難な壁は一足飛びに乗り越えたくなるものです。しかし壁が高かったり、すごくそびえ立って見えることもあります。実際はどんな高さか分からないことのほうが多いでしょう。

    そんなときは階段を設計するのがいいと思うのです。
    全体を想像しながら、まずは少しずつ高くなる。手の届かない高さの壁に対しては、手の届くことから始める。

    これは、当たり前な話に聞こえるかもしれませんが、ここで挙がっている「勝利の方程式」を他人に伝えるのに有効な説明ではないでしょうか。小さいことの有効性を伝えるという点で。

    のちほど私の「方程式」についてもコメントします。いま探し中です。

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  7.  お返事遅くなりました。

    (1)まずは太田くんの質問から。

    >これらの方程式を、他の人に共有するのは可能ですか?
    >共有するために必要な工夫はありますか?

    「共有」がどういう過程で生じるかが大切だと思います。個人的には押し付けたり強要することは不可能だと思うし、あまり意味がないと思う。「伝染」とか「感染」のようなかたちで、自発的に伝播していくのが理想だと思います。自分のまわりに伝播していかないなら、それは自分の実力不足に尽きるのではないでしょうか。

    (2)次に臼井くんの発言を受けて。「大きく捉え、最小単位で考え動く」はとてもいいですね。ぼくも真似したいと思います。たぶん臼井くんの発言では「小さなところから動く」ことに重点が置かれていたと理解したのですが、今回の地震以後のプロセスは、やっぱり「大きく捉える」ことも大事だよ、ということを示しました。アーティストや芸術系の学者はとかく「小さなもの」の重要性を説きますが、それを自分自身の活動が社会に影響を持たないことのエクスキューズにしている部分もあると思います。ぼくはそういう作家や学者は今後どんどん淘汰されていくだろうし、そうなればいいと思っています。臼井くんの発言にあるとおり、「大きなもの」と「小さなもの」を両輪として動かすことが重要になると感じています。

    (3)最後に、蓮沼くんの「小さなこと/一歩を大事にすることは問題をクリアするのに理にかなっている」に対して、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』からぼくの好きな部分を引用したいと思います。「壁に階段」ともつながると思う。

    「コツというのはね、まずあまり重要じゃないところから片づけていくことなんだよ。つまりAからZまで順番をつけようと思ったら、Aから始めるんじゃなくて、XYZのあたりから始めていくんだよ。お前はものごとがあまりにも複雑に絡み合っていて手がつけられないと言う。でもそれはね、いちばん上からものごとを解決していこうとしているからじゃないかな。何か大事なことを決めようと思ったときはね、まず最初はどうでもいいようなところから始めた方がいい。誰が見てもわかる、誰が考えてもわかる本当に馬鹿みたいなところから始めるんだ。そしてその馬鹿みたいなところにたっぷりと時間をかけるんだ。[…]成功するか失敗するかということに話を絞れば、俺はただの一度も失敗しなかった。それは、俺がそのコツのようなものを実践してきたからだよ。他のみんなは誰が見てもわかるような馬鹿みたいなところは簡単にすっ飛ばして、少しでも早く先に行こうとする。でも俺はそうじゃない。馬鹿みたいなところにいちばん長く時間をかける。そういうところに長く時間をかければかけるほど、あとがうまく行くことがわかってるからさ」[新潮文庫第2部、312−313頁]

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