2011年6月6日月曜日

問題28 時間とうまく付き合う60の方法

 「時間」は誰でも平等に持っています。高校サッカー部時代に、私は「時間は有限、可能性は無限」という横断幕を見ながら3年間を過ごしました。そうです、時間は有限なのです。1日は24時間と決まっているし、生きているのだって長くてもあと数十年。でも使い方はそれぞれです。

 私が最近、時間について考えることを大きくまとめてしまうと、できるだけ有効に使って、できるだけ楽しんで、できるだけ成果を残したいということです。やりたいことが多ければ、限られた時間の中では全てをやりきることはできないかもしれません。でも、どう過ごすかは自分次第。日々、自身に問いかけながら時間の過ごし方を考えていますが、この機会に皆さんが考えていること、実践していることを共有して、これからの時間をより充実させていきたいです。また、ここで発表することによって自分自身の時間との付き合い方を再確認していくことができれば…と思います。

 まずは、時間に対して皆さんがどんなことを意識しているのか、挙げていただきたいです。目標はひとまず60個!(時間特有の60進法を意識しています。60個挙げて、1歩進みたい!)

 私は時間との付き合い方に満足できず、どうすればもっとうまく付き合えるのか考えることが多いです。最近は、いくつか進行しているプロジェクトと、自分の作品の制作、ドイツ語の勉強、そして普段のインプット、これらを限られた時間の中でどう進めていくか考えています。そんなことから今回の問題として提出させていただきました。

 それではよろしくお願いします!

25 コメント:

  1. *1 細かい目標(締切)を設定する
    複数のプロジェクトを尻で合わせようとすると、どうしても詰まってきてしまう。追い込まれてきてしまうと、最後のブラッシュアップに時間がかけられなくなってしまったり、何かを「作る」醍醐味を味わえなくなってしまったりするから、なるべく細かい目標も持つように最近意識しています。

    * 2 「朝」を意識する
    朝は頭がすっきりしている。この時間を有効に使いたい。毎朝寝坊で、毎日朝から追い込まれているのはもったいない!朝こそ優位に立って過ごしたい!

    * 3 睡眠は確保
    2番の「朝」を意識することとも重なりますが、すっきりした状態を有効に使いたいので、なるべく睡眠は確保できるようにします。どうしても削らなければならない場合もありますが、基本的には確保!

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  2.  これは次のひとは「4」から始めればいいのかしら。それともひとりひとりが60個のリストアップを目指すのかな。たぶん前者だよね…。

    *4 「代謝」をよくする

     いろんなレベルでの「代謝」が大事だと思います。つまり、入れたものは出し、出したあとに入れる、ということです。これ否定しようのない生命の本質です。

     どういうことかというと、インプットばかり、アウトプットばかりでは、いくら時間を量的に使っても、なかなかうまくいかない。学んだらかたちにし、かたちをつくって不満が残ったらまた学ぶ。家にこもったあとは外出し、外で遊びすぎたら家で静かに過ごす。それを時間と活動における「代謝」と考えます。

     時間は、ある活動に費やした絶対的な量も重要ですが、それぞれの活動のバランスや順序によってまったく質を変えると思います。だから、量を確保することだけでなく、順序やバランスに気を付けるべきではないかと、最近は考えています。

     ポイントは、理想的な「均衡状態」は、きっと偏ったものではないはずだ、ということです。ぼくはかつて、とにかくできるだけ早くいろんなことを知りたくて、毎日一日中本を読んでいましたが、何を読んでいたのかだいたい忘れました。逆に絶えず作品を作り続けることにも問題があると思います(井上雄彦と浦沢直樹を比較せよ)。極端な時間の使い方は、実際には効率的ではない。

     「代謝」を意識して、うまく時間をまわしていったほうが、結果としていろんなことが速く動いていくようです。そのとき一番重要なのは、今自分に必要なのはインプットなのかアウトプットなのか、家にいることなのか外に出ることなのか、一日単位でも、長期的な展望のもとでも、自問を忘れないことだと思います。自分の中の「声」を失わないこと、と言ってもいいと思います。

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  3. 番号はつなげていきましょう!

    【*4「代謝」をよくする】は、納得・同感です。
    これに関連して、

    * 5 寝かせる時間を作る
    1つのことを集中的にずっと考え込むよりも、ある程度のところで寝かせておいて別のことを進める。それを進めている間に、ふと前に進めていたことに関するアイデアが見えてくる。視点を変える時間を作ることで、また新たな視点から考えることが出来ます。
    頭の中では勝手に思考が続いているという話を聞いたこともあります。

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  4. 林さんはドイツ語の翻訳をされていますが、翻訳という作業の中で時間を意識することはありますか?
    皆さんも、それぞれの分野で意識されていることがあったらぜひ教えてください。

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  5. *6 やっていることをリンクさせる
    2つのことを別々のこととしてやるのと、両方に10の労力が必要だったとする。
    しかし、やっている2つのことに共通点を持たせると、
      9+ 1 +9
    =(9+ 1)+9
    = 9+(1 +9)
    と、合わせて19の労力になったりする。
    すると、1の労力を使っている時間が余剰となる。


    例えば、授業でやっていることが、授業でやっていることでしかないのはもったいない
    自分の興味、自分のプロジェクトに引きつけて考えると、
    さらに、授業事でやっている1の労力が、
    自分のプロジェクトの1の労力を担うことになることがある。
    すると、1の労力ぶんの時間が生まれる。


    (さらに私は、自分のプロジェクトに幅と深みが生まれる感じがしている。)

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  6. 太田くんの質問を受けて、

    *7 ゆずれないところを決める
    優先順位を決めると言い換えることもできるだろう。
    譲れないプロジェクト(やっていること)の譲れないところからやっていくと、一番大事なところを押さえながら進む事ができる。

    自分が大事にしている、やるべき、やりたいと思っているところは、自分でやりたくなってしまうもの。
    しかし、私は複数人が関わるプロジェクトの中で、自分が大事にしているところが、“自分”がやりたいことか、他人に譲れること・任せられる(任せたい)ことか、分けるようにしている。

    どうしても、“自分”がやりたい仕事はあるもの。
    そこは、譲れないところなのだと思う。

    私は、譲れない度の高いことをやっていると、
    時間を使っていることが幸せである。
    こんな時、時間とうまく付き合っているなぁと感じる。

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  7. 8 映画の時間

    ひとつの映画にはいくつもの時間がある。
    上映時間という実時間、劇中時間と、体感時間と、各カットの持続時間。

    小津安二郎の映画は、各カットの時間が同じにしてある。ジガヴェルトフは違う時間の流れ方をしたカットを重ねる。雨月物語の時間を変質させた1カットを思い出してみる。「アタランタ号」の海の中、ヴィゴのスローモーション・・・さらに映画を観るわたし。撮られている場所の時間。編集のリズム。
    ぜんぶ時間に関係している。
    それらの映画のなかで、どんな時間に身をさらしていたか。どんな時間が生まれていたか。

    わたしにとって時間を演出することを考えることは、映画のことを考えることにつながってきます。

    その時間の編集や演出や選ぶ技術は「自分のもの」だけど、時間がそれぞれ属するあらゆるもの、ひと、場所の時間を「使いこなさない」ようにしたい。

    自分で時間を決めず、そこにある時間を感じ取り、身をゆだねることを大事にするのは、そのようにものを感じるためのひとつの方法でもある。

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  8. 【*6 やっていることをリンクさせる】に関して、
    ここで生まれた1の労力分の時間は、どう使っていきますか?

    それと、
    >さらに私は、自分のプロジェクトに幅と深みが生まれる感じがしている。)
    これについてももう少し聞かせてくださいな。

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  9. 【*7 ゆずれないところを決める】について、
    これは、これ単体で見ていると、ホーと納得できるのですが、
    例えば*6と関連させて考えてみたときに、「譲れないプロジェクト(やっていること)の譲れないところからやっていく」という優先順位以外にも考慮した順位ができるのかなと思いました。

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  10. それと、助友さんは「空間」とか「場」を考えて、作ることをしていますが、そういうときの「時間」で何か意識していることはありませんか?

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  11. 郷田さんの、
    >自分で時間を決めず、そこにある時間を感じ取り、
    >身をゆだねることを大事にするのは、
    >そのようにものを感じるためのひとつの方法でもある。
    というのは、旅でも同じような、または似たような体験がある気がするのですが、旅好きな郷田さんとしてはどうでしょうか?

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  12. * 9 時間の波をつかむ!
    一日の中でも、常に一定の時間が流れているわけではなくて、頭がすごくすっきりしている朝があったり、少し眠たい昼間があったり、何だか疲れているような夜があったりします。時間帯によって、その時間をどう過ごすのか、その時間にあった過ごし方をすることで効率が上がります。
    例えば、頭がすっきりしている午前中は、考えることをするとよいとかは、よく聞きますよね。

    そういえば、サッカーでも時間帯を意識した戦い方がありました。
    立ち上がりの時間帯はなるべくセーフティーに試合を運ぶ、中の時間帯はしっかりボールをつなぎながら組み立てる、等々ありましたねー!

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  13. ■1の労力分の時間
    1の労力分の時間は、できるだけ余らせておきます。
    そして、その時必要となったものに使います。

    これは、どういうことを言っているのかと言うと、
    自分から出てきた必要な時間ではなく、外から出てきた必要な時間にあてるということです。
    例えば、友人が私と話すことを必要としてくれた時。
    また、例えば、今日出会った人と連絡したくなる時。
    こういう外から出てくる私にとって必要な時間は、あらかじめ予想できません。

    できるだけ余らせておいて、こういうところで使っていきます。

    あらかじめ予想できない必要な時間が、私は予想できたことが起こることよりも楽しいと感じることがあります。
    例えば、大好きな先輩に呼んでいただいた飲み会に行った時、
    私は、その先輩しか知りませんでした。
    お店も知らないし、目的も知らないし、どんな人が来るのかも知らない。つまり、先輩の魅力(=先輩に会いたい、先輩のことを知りたい、先輩の周りが見てみたい)だけで行きました。
    しかし、そこでは美味しい中華料理をつくる人と出会い、ある島でゲストハウスをやっている人と出会いました。
    ここで、私が先輩の魅力で行った飲み会に必要だと思っていた時間では足りなくなる。
    そこで、余らせておいた時間を、美味しい中華料理をつくる人と話す時間として使い、ある島でゲストハウスをやっている人と話す時間として使いました。
    そして、その後に美味しい中華料理を食べることになるのですが、この料理がめちゃくちゃ美味しい。私の人生の幸せな時間をつくることになったのです。
    1の労力分の時間をつくっておいた結果、予想できなかった美味しい中華料理をつくる人と話す時間として使い、予想できなかった幸せが生まれる。こういう使い方をしています。


    ■からめることによる幅と深みについて
    >さらに私は、自分のプロジェクトに幅と深みが生まれる感じがしている。
    について、私の体験を話すと、
    自分の「卒業論文」と授業で行っていた「マッチラベルの展示会」をからめたことがあります。

    展示会を作る・語るときに、卒業論文で調査した、あるいは思考した「ミュージアムでの人の行動」、「建築からみた美術館」などをのせて考えることができました。
    逆に、卒業論文の方には、展示会を作るために使った時間で得た経験(例えば、マッチラベルの調査はすごく泥臭い仕事だと経験したり、マッチラベルを決まった位置に配置するためだけに10分も20分も使った経験、ライトを当てるために意見をぶつからせ合い、意見通りに実現するために何時間も使ったりした経験)がのってきて、研究への愛が深まりました。
    また、展示会を作るために使った時間によって得た関係があったから、展示会場を卒業論文の実験場所として受け入れてもらえたのだと思います。
    その時間がなければ、展示会場を実験場所として受け入れてもらえることはなかったと思う。受け入れてもらえなければ、仮設の実験場所を設けていたわけだが、本当の会場だからこそ生まれる社会との関わりがあり、これが実験にリアリティと深みを出していると思います。

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  14. 太田くんが*6と*7を関連させて考えたときにうまれた、「優先順位以外にも考慮した順位」についてもう少し詳しく聞いてみたいです。

    ■「ゆずれないところ」と「やっていることをリンクさせる」の関連
    私は、私が「やっていること」は、本質をみると結局は私の「ゆずれないところ」、「やりたいところ」なのではないかと思います。

    だから、優先順位を決めると、互いにリンクさせたい部分が自然と残っている。

    優先順位を決める時に、やっていることとのバランスが無自覚にうまくいってしまっているから、私には「優先順位」と「それ以外の考慮した順位」の区別がうまくできないのかもしれません。

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  15. 「空間」とか「場」を考えて、作るときの「時間」が、私のどの時間をさしているのかピンときていません。
    言い換えてもらえると、太田くんが聞きたいところを答えられるかもしれません。
    私としては、私が「空間」とか「場」を考えて、作る時間について考えるヒントがもらえると、嬉しいです。
    もしかすると、私自身の「作る」という定義が曖昧だから、ピンとこないのかもしれませんね。
    太田くんが私をみていて、この時間だと思う時間が、もしあれば言って欲しいです。


    ピンときていないなりに、ヒントをもらうために一度私の思考を出してみます。
    私は、ある人に、「空間」とか「場」について、私の思考はとまることをしないのではないかと言われたことがあります。
    これは、言われたときまで全く無自覚でした。未だにほとんど無自覚ですが、そう言われて、何か納得する感じがあったことを覚えています。
    そして、その思考はたぶん「作る」ことが前提にあります。

    だから、私にとって、「空間」とか「場」を考えて、作るときの「時間」は、
    常にそうだという言い方もできるかと思います。
    ただし、この場合は時間を使っている自覚すらありません。
    助友文香として過ごしている感じです。人生を使っている感じに近いです。
    この時、時間は勝手に流れていってしまっています。

    これは、もしかすると郷田さんが言っている、
    >時間がそれぞれ属するあらゆるもの、ひと、場所の時間を「使いこなさない」
    >自分で時間を決めず、そこにある時間を感じ取り、身をゆだねる
    と共通点があるのかもしれません。
    これについて、郷田さんはどう思うか聞いてみたいです。



    もっと、局所的に「空間を作る」を捉えて・・・
    例えば、○○プロジェクトで○○のために○○という場所に作る空間を考えている時で言っても、私の思考は止まっていないのだと思います。
    締め切りまでは絶対に止まらないし、作り終わっても、作り終わってなくなっても思考は止まらないこともあります。
    この時も、○時間使ったという自覚はありません。
    ただし、この時から、この時までという期間は自覚することができます。

    私が時間と付き合おうする、時間を使っている感じがして、時間を計算する時は、(思考ではなく、)実作業をする時です。
    実作業とは、思考をカタチにしてみる時、企画書をカタチにする時、イメージの絵をカタチにする時、図面を描く時、人に説明する時などです。
    この実作業をしている時がカタチになる時なので、私以外の者にとっては、そこしか見えないため重要なのですが・・・
    私には、この時、「空間」とか「場」を作っている感じはほとんどありません。
    ただカタチに落としているという感じです。

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  16. 太田くんの*9に加えて、
    時間帯ではないところでも、つかむべき波がくる時があると思うので、
    10ではなく、9.5を加えさせてください。

    *9.5 流れをつかむ
    バスケットの試合中には、何度か流れが来る。これをうまくつかむことができると、実力では負けているだろう相手にも勝てたりする。

    これは、立ち上がりとか中盤とかという時間帯ではなく、いつ来るかわからない。
    この流れは、いつでも引き寄せる努力はできる。
    勝手にできる流れが引き寄せられてくる時もあるし、
    どうしても引き寄せられない時もある。

    流れにのれば、たった数分でとてつもない差がつくことがある。

    この流れは劇的な時には、試合がおわる30秒前にも、0.8秒前にも来る時がある。
    0.8秒あれば、「2点差で負けていて、相手ボール」というような完全に負けたと思われるような試合の状況でも、
    ボールを奪い返して、3ポイントシュートが決まる時がある。
    ファールをもらって、フリースローになって、それを決めると、エンドからののパスカットで2ポイントシュートを決めることができる時がある。

    この流れを引き寄せる努力と、流れにのる努力、流れにのり続ける努力をすることが大切。

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  17. *10 地震のあとの時間に注意
    地震のあとの時間の進みが速い。私だけかな?
    「おぉ揺れた!」の体感のあと、震度と震源地と津波情報を家族の安否を確認。次なる揺れに警戒しつつ、テレビニュースとツイッターの反復。
    これであっと言う間に一時間→二時間→半日と時間が過ぎ去っていく。時間を忘れてしまうのだ。

    *11 勉強会の時間
    「勉強会をやっていて意味はあるのか?時間の無駄じゃないか?」と言われたことがありますか?私はありますよ。
    自分の専門分野に没頭して重要なことを取り出し、それを人に伝える。また人の問題提起に応答していくことで深い考えを持つことが出来る。
    そこで得た「考える回路」は、そのあと何回も通る貴重な道になります。こういった経験がし易い仕組みを内包するプラットフォームは決して時間の無駄とは思わない。
    ただ一方であまり理解されないのもわかる。
    その時間はお金を稼いでいないし、大学の単位がもらえるわけでもない。また恋人や家族と過ごしていない。そういった社会で意味があるであろうと認定されている時間の過ごし方からみたら、勉強会はあまり優先されない時間だ。なので「無駄じゃないか? 内輪だけで意味があるのか?」と尋ねられたら、そう言う人には「丈夫になるためのトレーニングとしての勉強会」であると応えようかなと思っているところ。

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  18. <翻訳の時間について>

     目下、ふたたび翻訳の仕事に集中しています。翻訳は、ぼくが書いた「代謝」をそれ自体の中で完備した作業です。インプットして、アウトプットするわけです。したがって、翻訳に集中し始めると、ほかのことがなかなかできなくなります。完結してしまうわけです。

     ただし、いろんなレベルで「とても大変」な翻訳の場合は、原子力発電ではないけれど、「使用済燃料」みたいなものがからだの中に溜まり始めるので、それを再処理するプロセスが必要になります。具体的には、特定のものを毎日食べるとか、特定の作家の映画や小説を順番に見ていくとか、自然となんらかのリズムに従うことが多いです。そうすると「使用済燃料」がまた再利用できるようになります。まあ要するにリフレッシュするわけです。

     ところで、議論がいろんな方向にはっちゃけまくってますね。それはそれでいいことと思います。太田先生がここからどうするつもりか、楽しみです。

     蓮沼くんの「勉強会の時間」については、ぼくも何か書きたい気がするけど、またいつか。

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  19. 太田くんの
    >助友さんは「空間」とか「場」を考えて、作ることをしていますが、そういうときの「時間」で何か意識していること
    について、前回は、作るときの私の「時間」を考えていたのですが、別の視点で考えてみました。
    今回は、作る「空間」とか「場」で、どう「時間」を知覚させるかという視点です。

    *12 時計の在り方
    空間をつくる時、時間を忘れて体験して欲しいと思うときは、時計を置かないようにします。
    または、時間を曖昧に示すものを使います。例えば、景色や音楽です。


    具体的な例を出すと、
    私の家の時計は長針、短針と秒針が全て揃っています。
    時間が、秒単位でわかるものです。
    しかし、メモリは30度毎にしか刻まれていません。
    これにより、何分なのか少し曖昧です。
    また秒針は、カチカチ刻むのではなくスムーズに動いていて、時間が経っている自覚はできるのだけど、何秒なのか少し曖昧です。
    これくらいが、私の生活にちょうど良いと思って使っています。

    ちなみに、時間を忘れて居て欲しい人が来るときに、わざと時計を外しておいたことがあります。笑
    また、家に時計を置いていない友人がいて、その友人の家に行くとわざと腕時計を外していたこともあります。
    このように時計の在り方で、時間の過ごし方をつくることができると思います。
    時計の在り方で、その人がどんな時間の過ごし方をしたいか読み取ることができるかもしれません。


    授業など、限られた時間で「場」をつくる時は、時間をわざと周りに知覚させる時があります。
    タイムスケジュールを書く、時計を見る動作をするなどです。(逆に、限られた時間の中でも、忘れて欲しい時には周りには気付かれないように時計を見て、時間を組み立てています。)

    閉店間際のお店の音楽も、時間を忘れていたお客さんにわざと時間を知覚させる役割をしていますよね。

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  20. さて、まず助友さんからのいくつかのリクエストに反応してみます。


    >太田くんが*6と*7を関連させて考えたときにうまれた、
    >「優先順位以外にも考慮した順位」についてもう少し詳しく聞いてみたいです。
    これは、例えば譲れない順で優先順位をつけていったときには、
    ABCDEFGHIJKとなっていたものが、
    *6を考えたときには、
    ADFGBCEHIJKと並べた方が全体としてはうまくいくパターンもあり得るだろうなという話です。ただ結局はそういったことを全てひっくるめて考えているだろうから、そんなに深く追求して考えることではないかなと思います。


    >「空間」とか「場」を考えて、作るときの「時間」が、私のどの時間をさしているのか
    >ピンときていません。
    >言い換えてもらえると、太田くんが聞きたいところを答えられるかもしれません。
    >私としては、私が「空間」とか「場」を考えて、
    >作る時間について考えるヒントがもらえると、嬉しいです。
    これは幅広く考えられると思いますが、特に「この時間」と指定したつもりはなくて、「空間」とか「場」とかを考えるときにどんな時間の考え方があるのか広く聞いてみたかったというのが真意なので、そんな深く考え込まないでください。自由に考えてもらえるとありがたいです。

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  21. >「勉強会をやっていて意味はあるのか?時間の無駄じゃないか?」
    >と言われたことがありますか?
    ありますね、僕も。そして、自問自答したこともあります。
    勉強会のときに流れる時間は、日常生活の中にはあまりない特殊な時間だと思います。ある種の山場です。勉強会に向けての準備の時間があって、それから勉強会というものすごく集中した時間がある。そこには、別々の時間を持った人が集まるから、人数分の時間を一気に味わったような気にもなる。終わると今度は帰りながら勉強会のことを思い出す。
    こういう山場の時間を適度に作っておくことが大事なんじゃないかと思っています。

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  22. 林さんの「代謝」について、自分にあてはめて考えてみています。
    皆さんも「代謝」について、それぞれの立場で何かあれば聞かせてください!

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  23. ■代謝と「くそ勉強」の時間について

    代謝について、考えてみました。

    「たくさん息を吸うためには、
     たくさん息をはかなければならない」
    私がこの言葉に出会ったのは、中学生でした。

    以来、息を吐けないときは、たくさん吸ってみるようにし、
    息が吸えないときは、たくさん吐いてみるようにしています。
    さすが、生命の本質だけあって、これが行えるとこざかしくなくうまく回り始めると感じています。

    「たくさん」というのは、量の時もありますが、息の深さの時もあります。
    インプットにも、アウトプットにも段階、階層があると思います。


    ここで一度、「くそ勉強」の時間について記します。
    蓮沼さんが言う「勉強会」と「くそ勉強」は違うのかもしれませんが、「くそ勉強」も勉強会の一部だと認識しているため、私にとっての勉強会は「くそ勉強」と捉えて話をします。
    話始める前に述べておきたいことがあります。
    私は、「くそ勉強」は、「意味はあるのか?時間の無駄じゃないか?」と考えたことがありません。


    話は、代謝へ戻ります。
    私は、先ほど、「インプットにも、アウトプットにも段階、階層がある」と言いました。
    くそ勉強でのアウトプットは、私がなんとなくインしていたものを深い階層に落とし込む手助けをしてくれます。
    この深い階層にインを落とし込む行為がすごく大切で、別の(私ならば、「空間」をつくること)ことに、ものすごく大切に関わってくるのではないかと思っています。
    くそ勉強は、こんな風に豊かな代謝をつくっていると思います。
    このことから、くそ勉強の時間は、「生きる」ことにすごく近いんじゃないかと考え始めました。


    それから、話はもう一度、「くそ勉強」の時間に戻り、
    「何の為にやっているのか、このページを見ただけだと俺にはわからないよ。なぜやってるの?」と訊ねられたことがあります。
    この時、私は、くそ勉強のアウトプットに至るまでの私の思考を話しました。
    まず、私の中で起きていることが大切で、それを言語化することが私にとって大切なのだと説明したわけです。
    すると、「なるほど、その為なんだね」と、すんなり納得してもらえました。
    「なるほど、助友として生きているんだね」と、納得してもらえた感じがしました。

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  24.  助友さんがたくさん書き込んでくれるのはすばらしい。ただひとつひとつが長いね。個人的にはもうちょっと要点をぎゅっと詰めてほしい気がする。

     それと、「くそ勉強」の内側で「くそ勉強の時間は生きることだ」みたいなのは、ぼくはちょっと恥ずかしいかな。正直なところ、外側からさぶい集団、もしくはちょっとした新興宗教、あるいは自己啓発グループみたいに見えるんじゃないかと危惧するね。

     それは半分冗談だけど、もうちょっと真面目に書くと、「くそ勉強の時間は生きることだ」と助友さんが書いたとき、ぼくは反応できない。なぜなら、「生きる」という言葉に含ませる意味は各個人でまったく異なり、当然助友さんとぼくでも異なるから、賛成も反対も、そもそもできない。共通の基盤の上に成り立つものとしての「議論」が成立しない。

     率直に言ってしまうと、「くそ勉強の時間は生きることだ」という発言は、「感想」であっても「意見」ではないと思う。それはエッセイと論文の違いと同じ。ポイントは、ものごとを発展させる基盤をつくらない(つくる必要のない)主観的・一回的な発言か、あるいは原理的にどんな相手であっても同じ地点から思考を継続できるよう配慮された言葉か、ということ。

     このブログで個人的な感想を述べてはいけないというルールはない。ただ、ぼくは複数の人間が声を交わす以上は共通の基盤の上に何かを築いたり、何かを更新したいと思っているから、自分にしか通じない(と思われても仕方ない)言葉ではなく、そこから他人も出発できる言葉を使おうといつも考えています。

     助友さんのエピソードが感動的なのはわかるんだけどね。逆に言えば、どういう反応がくることを期待して書いたのか、ちょっとわからないとも言えるかな。「なるほど、助友として生きているんだね」と言われても、ぼくは困惑してしまいます。決して書きこんでくれること自体を非難しているわけではないから、こういう意見に萎縮しないでもらいたいんだけどね。

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  25. 萎縮はせず、受け取れるように考えています。
    私は、喋り方に聞き方にも、議論の展開の仕方にも癖があって、伝わらないことが多いので指摘はすごく嬉しいです。
    話を毎度そらせてしまって申し訳ないなぁと思いながら、感謝しています。

    ただ、林さんの指摘が、まだピンと来ていません。
    だから、まだ何度もこういう指摘に付き合わせてしまうだろうと思います。
    諦めずに付き合ってくださると嬉しいです。

    共通の基盤がないと指摘された文章ですが、
    私なりにめちゃくちゃ考えた結果、本当に伝えたい一歩前を話しています。
    これは、大切に伝えたいところだから、ゆっくり伝えたいと思っています。
    だから、「どう反応して欲しいの?」と言う問いに、すぐに「〜です。」と答えることはできません。

    また、考えがない面白くない言葉だと思われると思いますが(笑)
    これが今、返せる精一杯です。

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